ヨブ14章・ヨブは復活の希望を言い表す

「ああ、あなたが私をシェオルに隠し、あなたの怒りが元に戻るまで、私を秘めておき、私のために時の限りを設けて、私を覚えてくださればよいのに。・・・あなたは呼んでくださり、私はあなたに答えます。ご自分のみ手の業をあなたは慕われます。」(ヨブ14:13,15)

今日多くの人が災いにあって時ならぬ死を迎えています。例えば第二次世界大戦中に原爆によって多くの人が命を奪われました。また近年には、地震津波によって多くの人が突然命を失いました。聖書はそれらの人々が将来この地上に復活するという希望を差し伸べています。地上での復活に対して希望を言い表した神の僕のひとりはヨブです。


ヨブは、エホバとサタンの間のヨブの忠誠に関する論争のために、ありとあらゆる苦しみを経験しました。ヨブの苦しみは、サタンが引き起こしたものでした。しかし、そのことを知らないヨブの三人の友は、ヨブが悪行を行なっているために、エホバから罰されているに違いないと論じます。ヨブは、自分は潔白だと言って、三人の友の論議に反論します。その時、ヨブは復活の希望を言い表しました。


冒頭の聖句にあるように、ヨブは、エホバが自分を一時的にシェオルに隠して、時が来た時に、自分を思い出してくださればいいのにと言いました。また、その時、エホバが自分を呼んでくださり、自分が答え応じて、復活するという希望を述べました。(ヨブ14:13)


シェオルとは、意識のない場所としての人類共通の墓を意味しています。(伝道の書 9:10)霊感のもとに記された聖書全体を通じて、シェオルは終始、死と関連づけられています。(サムエル第二 22:6;。詩編 18:5;49:14; 89:48)


それで、ヨブは死ぬと天に行くと考えてはいませんでした。ヨブは、死ぬと無意識の場所であるシェオルに行き、神の怒りを感じなくてすむ状態になると考えていたので死ぬことを願いました。


それで、ヨブがシェオルに隠して欲しいと願ったということは、神の怒りから隠して欲しい、神に死なせて欲しいと願ったということを意味しました。しかし、ヨブは、エホバが定めの時に死者を復活させるという確信を持っていました。


しかし、ヨブが自分の経験している災いはエホバの怒りの現われだと思ったのは、間違いでした。ヨブの被った災いは、エホバの怒りの現われではなく、サタンが引き起こしたものでした。今日引き起こされる戦争や、地震津波などの天災も、エホバの怒りの現われではありません。そうした災いにあった人たちは、エホバの裁きにあったわけではありません。それは、サタンが引き起こしたものか、邪悪な人に由来するものか、または自然の脅威がもたらす災いです。


また、ヨブは、「もし、強健な人が死ねば、また生きられるでしょうか。」と質問を提起し、自ら肯定の答えを述べました。(ヨブ14:14)ヨブは、死んだ状態を強制奉仕の日々になぞらえていました。ヨブは「私の解放が来るまで。」と答えて、強制奉仕からの解放の時、すなわち死からよみがえる復活の時が来るという確信を言い表しました。


また、ヨブは、「ご自分のみ手の業をあなたは慕われます。」と述べました。(ヨブ14:15)人間は、神のみ手の業です。人間は神の像に造られており、優れた神の作品です。(創世記1:27)人間は、すぐれた神の特質を表すことのできる可能性を持っています。それゆえに神は人間を慕われ、基本的に人間が生きるように望んでおられます。(エゼキエル18:23)神はご自分の僕に愛を抱き、死んだご自分の僕を再び呼んで、再創造してくださいます。


神が死者を呼び出すという考えは、イエスが復活について言われた言葉と調和しています。イエスは、「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと[出て来るのです]。」と言われました。(ヨハネ5:28,29)イエスは、死んで記念の墓の中にいる者がイエスの呼ぶ声を聞く時が来ると言われました。人間の復活を生じさせるのは、神とイエスです。




将来エホバは地上に大勢の死者を墓から呼び出し復活させる

それで、神はイエス・キリストを通して、死者をひとりひとりよみがえらせてくださる時が来ます。それで、人類の大多数は死んで天に行くのではありません。人類の大多数はヨブが述べたように、人類共通の墓であるシェオルに行きます。そこで死者は無意識です。(伝道の書9:5)しかし、神が死んだ人を復活させてくださる定めの時があります。


ヨブは、神が人間を慕っておられ、すなわち愛しておられ、ひとりひとり復活させてくださる時が来ることに信仰を持っていました。そのヨブの確信は、自分がひどい災いを経験した時でも変わりませんでした。


ヨブは、サタンのもたらした災いのために十人の子供を失っていました。ヨブは、自分が復活するという希望を言い表したのですから、十人の子供たちも復活するという希望を持っていたことが分かります。


私たちも、エホバとサタンの間にある被造物の忠誠に関する論争のために、迫害を受けて死ぬということがあるかもしれません。また、自然の脅威のためにまたサタンのもたらす災いのために命を失うということがあるかもしれません。また、アダムから受け継いだ罪のために、老化や病気による死に直面するということがあるかもしれません。


戦争や地震津波などで命を失った人々の大多数は、将来この地上のパラダイスに人間として復活してくるでしょう。(ルカ23:43)その希望があるなら、死んだ人々のことを絶望的に悲しまないですみます。(テサロニケ第一4:13)


ヨブは復活に対する信仰によってエホバに対する忠誠を固く守るように助けられました。同じように、私たちも復活の希望に対する信仰を持っているなら、神への忠誠を守ることができます。


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