自殺の問題(7)−身近な人が自殺してしまった時

だれかが自殺すると,家族や親しい友人は,同情と怒り,悲しみと罪悪感の入り混じった気持ちになるかもしれません。多くの人はこのように言います。『あの日,わたしがもう少し長くそばにいてあげたら』,『あの時,わたしがあんなことを言いさえしなければ』,『わたしがもう少しあの人の助けになっていたら』。つまり,『もし自分がこれを,あるいはあれをしていれば,愛する人はまだ生きていたはずだ』と考えるのです。


そもそも,あとになって自殺の兆候を見分けるのは非常に簡単なことです。しかし,事前にそうできるかどうかは別問題です。聖書はこう述べています。「魂の苦しみを知るのは自分の心。その喜びにも他人はあずからない」。(箴言 14:10,新共同訳)ですから、他の人の考えや感情を識別するのは非常に難しいのです。多くの場合,自殺を考えている人は,自分の内奥の感情を,他の人に,また家族内の親しい人に対してさえ十分に伝えることができません。

「悲しみを言葉に表わす」(英語)という本は,自殺の兆候について,「実際のところ,そうした兆候を見分けるのはたいてい簡単でない」と述べています。また,たとえそれと分かる幾つかの兆候に気づいたとしても,それによって自殺を防げるとは限らない,と付け加えています。


                        自殺した人に復活はありますか


人が自殺したという悲報に接すると,自ら命を絶った友に関して将来何らかの希望が持てるのだろうか,という疑問も生じてきます。自殺した人は復活するのでしょうか。


自ら課した死は決して正当化されるものでも義にかなったことでもありませんが,確かに使徒パウロは,一部の不義者たちにさえすばらしい希望を差し伸べました。彼は「わたしは神に対して希望を持っておりますが,その希望は……義者と不義者との復活があるということです」と語りました。(使徒 24:15)


しかし多くの神学者たちは,自殺した人々に復活の道が開かれるかもしれないという意見を長いあいだ退けてきました。それはなぜでしょうか。


                      神学者たちは復活の希望を否定する


何世紀も前に僧職者たちは,人間が死ぬ時,不滅の魂は肉体を離れて天国,煉獄,リンボ,あるいは地獄へ直行する,という非聖書的な概念を取り入れました。その概念は,将来の復活に関する聖書の明確な教えと衝突しました。そのような誤った神学の結果,アウグスティヌスやアクィナスのような神学者たちは、自殺は、地獄に落ちるべき邪悪な行為としてとがめてきました。


しかし、死んだ人の魂が天国や地獄、煉獄に行くというのは、聖書の教えではありません。賢王ソロモンが述べた言葉から慰めを見いだせるかもしれません。「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もな(い)」。(伝道の書 9:5)ですから、その人はもうすでに精神的また感情的に苦しんでいません。また死後処罰を受けているということもありません。現在は,ただ休んでいるのです。


聖書は、死者が、人類共通の墓であるシェオルに行くこと、そこで死者は無意識、無存在の状態でいること、将来そこから復活してくることを述べています。(創世記37:35。伝道の書9:5,10。ホセア13:14)




When a widow of Nain lost her only son, Jesus raised him from the dead, a mighty miracle --
Luke 7: 11-17.
エスの行なわれた復活は将来の地上の復活の保証

        

                         自殺者に憐れみが示される


ある人は、イスカリオテのユダがイエスと親しく交わることのできた神の民であるにもかかわらず、自殺を遂げ、彼が「滅びの子」と呼ばれており、復活の希望がないだろうと思われることを考えます。(ヨハネ17:12)それで、神の民であるにもかかわらず、自殺してしまった人に復活の希望があるだろうかと考えるかもしれません。


しかし、多くの人は、イエスと直接交わって、その言葉と奇跡を実際に見聞きしたイスカリオテのユダほど霊的に恵まれているでしょうか。そのような恵みを受けた人はほとんどいません。また大抵の人は、ユダのように神のみ子を裏切るというような大罪を犯してもいません。


聖書は、悪行を犯した神の民が復活させられることを示しています。イエスは,死刑の判決を受けた一人の犯罪者に,「あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言われました。その人は、イスラエル人、つまり神の民のひとりでした。そして、その人は、死の直前にイエスに信仰を働かせたことから、それまでにイエスについてある程度、見聞きしていたものと考えられます。それにもかかわらず、その人は、死刑になるほどの罪を犯していました。(ルカ 23:39‐43)


その人は,天へ行ってイエスと共に支配するという希望を持ってはいませんでした。イエスは、この強盗に,キリストの王国の支配を受ける美しい地球上のパラダイスで生き返るという希望を差し伸べました。(マタイ 6:9,10。啓示 21:1‐4)


神はどんな目的でこの犯罪者を眠りから覚ますのでしょうか。過去の罪のことでその犯罪者を責めたてるためではありません。(ローマ 6:7,23)地上のパラダイスにおける人間としての復活は,この元犯罪者が復活後に行なう事柄によって裁かれるためです。(ヨハネ第一 4:8‐10)


その人は、楽園で神のご意志と目的の全体について学んで、その上で、神のご意志に対して、どのような態度を表明するかを示すために復活させられます。(ヨハネ5:29。啓示20:12)その人は、地上の楽園に復活させられ、聖書の預言が自分の死後にどのように成就したかを学ぶでしょう。


現時点で、神の目的の全体を完全に理解しているクリスチャンはいないでしょう。ほとんどのクリスチャンは楽園に復活して、神の目的の全体について学ぶべきことがあるでしょう。ですから、イエスについてある程度知っている神の民であった犯罪者が復活してくるのですから、自殺という罪を犯したクリスチャンも復活する可能性があります。



Paradise Inn by kuma chan
エスは悪行者に復活を約束されたので自殺者も地上の楽園に復活する希望がある



神の民であったユダのマナセ王など悪名高い殺人者の中にも,生きている間に変化を遂げ,神の許しを得た人がいます。(列王第二 21:16。歴代第二 33:12,13)自殺も罪の一つに過ぎません。罪を悔い改めるなら、エホバは許してくださいます。


ところで、その自殺者はもし自殺に失敗していたら、自殺という罪を悔い改めたかもしれません。もちろん,自分の命を絶つ人には自己の殺害を悔い改める機会はなくなります。ある自殺者が,仮に自殺に失敗していたら心を変えたかどうかはだれにも分かりません。“自殺の危険が高まる時期”に精神病や極度のストレス,場合によっては遺伝的欠陥がどんな役割を果たすのか,それを十分に理解できるのは神だけです。(伝道の書 7:7)エホバは人間の造りをよくご存知であり、悪行を犯した神の民に対しても最大限の憐れみを示してくださるでしょう。(詩編 103:10‐14)


ですから,エホバは、神の民であっても、一部の自殺者たちにまで憐れみを広げて彼らを復活させ,「悔い改め,かつ悔い改めにふさわしい業をして神に転ずる」貴重な機会を与える可能性があります。エホバはそのために「多くの人と引き換える贖い」を備えられました。(マタイ 20:28。使徒 26:20)自殺した人の将来の命の見込みは,「優しい憐れみの父またすべての慰めの神」エホバの手のうちにあります。(コリント第二 1:3)


以上はウィキペディアなどネットの情報や目ざめよ2001年10/22号、目ざめよ1990年9/8号を参考に再構成したものです。


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