箴言1章・エホバの助言をおろそかにして災難にあう

「あなた方はわたしの助言をすべておろそかにし、わたしの戒めを受け入れなかった。だから、わたしとしてもあなた方の災難を笑う。」(箴言1:25,26)


箴言1章には、エホバの助言に聞き従う者と、エホバの助言を退ける者の受ける異なる将来の結果が対比されています。エホバの助言に聞き従う者は平安を享受します。(箴言1:33)一方、エホバの助言を退ける者は災難にあうことになり、その時エホバの助けを呼び求めても、エホバから答えていただけません。(箴言1:28)


箴言1章によると、エホバに聞き従う者は「安らかに住み、災いの怖れによってかき乱されることは」ありません。(箴言1:33)しかし、エホバが手を差し伸べたのに、「拒みつづけ」、注意を払わないならどうなりますか。(箴言1:24)エホバが予告していた「苦難と困難の時期が・・・臨む」ことになります。(箴言1:27)「その時、彼らはわたし(エホバ)を呼び続けるが、わたしは答えない。彼らはわたしを捜し求めるが、わたしを見出すことはない。」という結果になります。(箴言1:28)


このことを例証する出来事が、一世紀に起こりました。イエスの死と復活の後、初期クリスチャンは精力的にイエス・キリストの良いたよりを宣べ伝えました。(マルコ1:1。使徒1:8)初期クリスチャンは、ユダヤ人たちに対して、悔い改め、神の基準に従って生活し、イエスの権威を認めるように勧めました。神の基準に従うためには、淫行、偶像礼拝、心霊術などの神の目に悪い振る舞いを振り捨てなければなりませんでした。(使徒2:38。ガラテア5:19〜21)


さらに、初期クリスチャンが宣べ伝えた音信の中には、ユダヤ教の体制が終わるという警告が含まれていました。イエスは、エルサレムがエホバから見捨てられることを予告していました。(マタイ23:37,38)エルサレムは、敵に攻撃され徹底的に破壊されることによって、神から見捨てられたことが示されることになっていました。(ルカ19:43,44)イエスは、エルサレムの滅びを逃れるためには、エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら、山に逃げなければならないと助言していました。(ルカ21:20,21)


初期クリスチャンが宣べ伝えた音信に、一部のユダヤ人は以前の悪行を悔い改めイエスの権威を認めてクリスチャンになることによって答え応じました。しかし、大多数のユダヤ人は、クリスチャンの宣べ伝えた音信に無関心だったり、反対したりして、それまでと同じ生活をし続けました。そして、大抵のユダヤ人は、ユダヤ教の事物の体制が終わるというイエスの警告を真剣に受け取りませんでした。


西暦66年、ケスティウス・ガルス将軍の率いるローマの軍勢がエルサレムに侵攻して市の周囲に野営しました。ところが,突然,何ら明白な理由もないのに,ケスティウス・ガルスの率いるローマ軍は撤退しました。


そのため,クリスチャンは,「その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。[エルサレム]の中にいる者はそこを出なさい。」というイエスの指示を実行に移すことができました。(ルカ 21:20〜22)エウセビオスは自著「教会史」の中で,クリスチャンがエルサレムユダヤの全地を去って,ペラと呼ばれていた山地の都市へ逃れたことを記録しています。



エウセビオスは初期クリスチャンがペラに逃げたことを記録している


初期クリスチャンは、イエスを通して与えられたエホバの助言に聴き従いました。しかし、大多数のユダヤ人は、エルサレムユダヤにとどまり、イエスを通して与えられたエホバの助言に注意を払いませんでした。どんな結果になったでしょうか。


やがて西暦70年には、ティツス将軍(titus)の率いるローマの軍勢が戻って来て、今度は過ぎ越しを祝う人々で混雑していたエルサレムを攻囲しました。


歴史家ヨセフス(Flavius Josephus)によれば、エルサレム内で飢きんがひどくなり、人々は干し草の束や革を食べ、果ては我が子をさえ食べるほどになりました。エルサレム内に集まっていたユダヤ人は、神の過ぎ越しの祭りのために集まっていた人々だったので、エホバに救いを呼び求めたことでしょう。しかし、その時は遅すぎました。エホバは彼らの祈りと叫びに答えることはありませんでした。



西暦70年のエルサレムの滅びについて詳細な記録を残しているヨセフス


やがてローマ軍は、エルサレムの城壁を破り、市内に侵攻し、破壊しました。ヨセフスは死者の数を110万人としており、9万7,000人が捕虜となりました。生き残った人の多くはエジプトへ奴隷として送られたり、ローマ属州の劇場で剣や野獣によって殺されたりしました。彼らは、エホバの助言をおろそかにして、災いにあうことになりました。


ローマの有名な観光地フォロ・ロマーノにあるティツスの凱旋門
ユダヤの戦争に勝利した凱旋式レリーフが残っている



将来、ふたたび、荒廃をもたらす嫌悪すべきものすなわち新しい国際連合の機関が、大いなるバビロンであるアメリカを攻撃する時がきます。イエスの助言によると私たちは、その攻撃の前に山に逃げなければなりません。(マタイ24:15,17)


今は、エホバが私たちに手を差し伸べておられる時です。私たちはエホバが猶予されている時を善用し、私たちの生活をエホバの基準に合わせるように努力しましょう。また、世界情勢が進展した時には、山に逃げるようにというイエスの助言に従いましょう。そのようにしてエホバに聞き従う人は、現在また将来、「安らかに住み、災いの怖れによってかき乱されることは」ありません。(箴言1:33)


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