うつ病(11)−過去のことを忘れる

ネガティブな考えを長期にわたって繰り返し反すうすることにより、うつ病は重症化します。聖書は、「苦しむ者の日はどの日もみな悪い」と述べています。(箴言15:15)それで、私たちが苦しい思いを持っていると、どんなに良いことが起こった日であっても、どの日も悪く見えるかもしれません。ですから、聖書は私たちが消極的な態度を持っていると、うつ病が重症化することを認めています。


わたしたちの感情的な問題には過去に根ざすものがあるでしょう。私たち自身が何らかの悪行を行なったり、大きな失敗をしたりしたことがあるかもしれません。また、自分が不当な扱いの被害者となったかもしれません。淫行の犠牲者となったり、いじめや虐待の対象になったりしたかもしれません。


私たちが過去の失敗やいやな出来事を繰り返し思い出していたら、生活の良いことにも目が向かず全くうつ状態になるかもしれません。私たちが過去のことを忘れ、前進するべきどんな理由がありますか。


                     重大な間違いをした時


もし自分が重大な道徳的な間違いをしたならどうでしょうか。ダビデの例から学びましょう。ダビデは、生涯のうちにさまざまな間違いをしました。姦淫に陥入り保身のために他の人を死に追いやったこともありました。その時、ダビデは、深刻なうつ状態になりました。しかし、それは正しいことでした。ダビデが苦しんだことは、ダビデが正しい良心を持っていたことを示していました。ダビデはエホバに祈ることをやめませんでした。ダビデはエホバに罪を告白し、エホバが自分を捨てないようにと願い求めました。(詩編38:18,21,22)


エホバが非としておられるのは、「かたくなさと悔い改めのない心」であって、過去の罪に関して「敬虔な悲しみ」を抱く人は、かえってエホバに是認されています。(ローマ2:5。コリント第二7:10)それで、自分の罪を認めて、エホバにそれを祈りによって告白し、自分の間違いを二度と繰り返さないように努力しましょう。また、エホバに受け入れていただけるように、神のご意志を行なうために力を尽くしましょう。そうするならば、神に対して「正しい良心」を持つことができるでしょう。(ペテロ第一3:21)


ダビデの祈りは聞き届けられ、ダビデの生活には平安が戻ってきました。なぜなら、ダビデは罪を悲しんで悔い改めたからです。(コリント第二7:9)ダビデは、自分がエホバからすべての罪を許され、苦境から救い出され、エホバとの親密さを享受していることを確信して、エホバを賛美することができるようになりました。


ダビデは次のように述べています。「わたしの魂よ,エホバをほめたえよ。 ・・・ [神]は,あなたのすべてのとがを許し, あなたのすべての疾患をいやし, 坑の中からあなたの命を取り戻し, あなたに愛ある親切と憐れみを冠として添え, あなたの生涯を良いもので満たしておられる。」(詩編103:2-5;25:14)


それで、聖書を読んで心を清め、聖書の預言的な助言に従って行動し、教えを当てはめるという積極的な手段を講じましょう。もし私たちが本当に悔い改めているならばどうでしょうか。私たちの罪や失敗に対して、神は次のような態度をとられると述べられています。「[神]はいつまでも過ちを捜しつづけることも, 定めのない時に至るまで憤慨しつづけることもない。」(詩編 103:9)


それで、エホバの許しと是認を確信して前進しましょう。それは、エホバ神の喜ばれることであり,うつ病を軽減することになります。


                    『後ろのものを忘れなさい』


私たちは、自分の言動を後悔していつまでもくよくよするでしょうか。また、過去のいやな出来事を繰り返し思い出していますか。過去に起きたことを変えることはできません。パウロは、エルサレムのクリスチャンを投獄したり殺したりもしたようです。(使徒9:1,2)さらに、ステファノの殺人を是認したという過去がありました。パウロの罪は、大抵の人の罪よりも重大なものでした。でも、パウロは、自分の行動が神のご意志からそれていたことを悟りました。(テモテ第一1:13)パウロは、クリスチャンを迫害したという過去を、非常に後悔して苦しんだことでしょう。(使徒 8:1)



Before Saul became Paul, he persecuted the Christians, putting many in prison and even having some executed -- Acts 8: 1-4.
パウロはクリスチャンを迫害して投獄した過去を後悔した


しかし、パウロは態度を完全に改めました。パウロは、迫害されるクリスチャンの側に立ちました。パウロは神に許されたことを感謝して、それだけいっそう神に仕えました。(コリント第一15:9,10)パウロは、神の是認を求めることをやめませんでした。


驚くべきことに、エホバは以前の迫害者で殺害者であったパウロに天的希望を差し伸べられました。使徒パウロはこう書きました。「後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばし,キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走っているのです。」。(フィリピ 3:13,14)



ING RUN by sophiea
元迫害者のパウロは天的希望をとらえるために走ることになった


パウロは、天的希望という目標のために前進しました。私たちも、天的希望であれ、地的な希望であれ、永遠の命という賞を得るという目標の達成に全力を集中して、前進しましょう。


私たちの将来は過去ではなくて、現在の行動によって形作られていきます。(ガラテア6:7,9) 現在の行動が、将来を左右します。神からの是認と祝福は過去の行動ではなく、現在の行動で決まります。(イザヤ55:7)このことを認識していれば、過去のために神の是認が得られないと絶望するのではなく、改善する努力をしていくように促されるのではないでしょうか。


悪いことを続ける傾向と闘いましょう。私たちが神に対して犯した罪を環境のせいにするのではなく、自分の性格の悪い傾向を改めるならば、私たちは前進できるでしょう。神の是認を確信して、うつ病に対する闘いに勝つことができるでしょう。(箴言 14:30)

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