ホセア14章・北のイスラエルが悔い改めた偶像崇拝

アッシリアはわたしたちを救ってくれません。馬にもわたしたちは乗りません。そして、自分たちの手でこしらえたものに向かって、『わたしたちの神よ』とはもう言いません。」(ホセア14:3)


ホセア14章は、イスラエル偶像崇拝を悔い改め、エホバに帰り、エホバがイスラエルを祝福することが述べられています。彼らは、アッシリアなどに流刑にされましたが、バビロンからユダヤ人が解放された時に、ともに故国に戻ってエホバの崇拝を再び始めました。それで、ホセア14章は、昔のイスラエル十部族王国の人々に小規模に成就しました。


しかし、このホセアの預言は、今日大規模に神の民に成就することでしょう。私たちは、ホセア14章から、エホバの是認を得るために、何が求められていることを学べるでしょうか。


北のイスラエルの人々は、特に三つの形の偶像崇拝を悔い改めました。それは、(1)アッシリアなどの世界強国に頼らないこと、(2)馬に頼らないこと、(3)人間の手で作った偶像を崇拝しないことです。三つの点それぞれについて深く考えてみましょう。


(1)アッシリアなどの異教の世界帝国に頼らない


イスラエル十部族王国は、国家の安全をアッシリアなどの世界強国に頼りました。イスラエルの王メナヘムはアッシリア王プルに「王国を自分の手のうちに強めるため」銀を支払いました。(列王第二15:19)



Joelholdsworth
イスラエルアッシリアに頼って滅ぼされ流刑にされた


また、イスラエルの王ホシェアはアッシリアの王シャルマネセルの僕となり、貢を納めていましたが、エジプトの王ソに使者を遣わし、アッシリアの脅威から守ってもらおうとしました。(列王第二17:3,4)



This scene from the painted wall decoration of the 8th century Assyrian palace of Hadatu (modern Arslan Tash) in Syria shows the seated king Tiglatpileser III receiving a report from the crown prince Ululayu, who eventually succeeded to the Assyrian throne as king Shalmaneser V. Reconstruction on display in the Louvre; photo by Karen Radner. )
後にアッシリアのシャルマネセル5世になった皇太子が王に報告をしているアッシリアの宮殿の壁画

北のイスラエルが、救いのためにエホバではなく周囲の諸国家に頼ったことは、エホバの不興を買いました。イスラエルは、「神エホバに帰らず」、「エジプトに向かって呼ばわり、アッシリアに向かって進んだ」と述べられています。(ホセア5:13;7:10,11;8:9)


結果として、エホバは北のイスラエルアッシリアによって、滅ぼされました。(エゼキエル23:9。列王第二17:23)北のイスラエルが、アッシリアに頼ったことは、少しも国家の安全の助けになりませんでした。(ホセア14:3)それで、イスラエル人は、教訓を学び「アッシリア」は救ってくれないことを認めました。その態度は、エホバに是認されました。


エホバにとっては、周囲の国家の軍事力に頼ることも、比ゆ的な「淫行」であり、エホバに不忠実な偶像崇拝です。(エゼキエル23:11-16)


当然、世界強国と共に軍事行動に携わることは神の目に「淫行」であり「流血」ですから、なお一層神の目にとがめられることです。私たちは、救いを他の国家との軍事同盟に頼らないようにする必要があります。


TOKYO (June 16, 2012) 米軍と自衛隊の会議
120616-N-SP676-139.JPG by Commander, U.S. 7th Fleet
軍事強国に保護を求めて頼るのは神の目には淫行


(2)馬に頼らない
ホセア書の中で悔い改めたイスラエルの人々は、「馬にも・・・乗りません」と言っています。(ホセア14:3)それは、何を意味するでしょうか。


預言者イザヤは、「単なる馬に頼る者,それが多いからという理由で戦車に,それが非常に力強いからという理由で乗用馬に信頼を置き,イスラエルの聖なる方を仰ぎ見ることも,エホバご自身を尋ね求めることもしなかった者たちは災いだ」と語りました。(イザヤ 31:1)


聖書は、「馬は救いのためには欺まんであり, その活力が大いなることによって逃れ[の道]を備えるのではない。」と述べています。(詩編33:17)それで、馬が強いことによって救いを得るということはありません。しかし、昔のユダが、救いをエホバに頼った時は、エホバは救いを差し伸べられました。「救いはエホバによる」のです。(箴言 21:31)



鎌倉鶴岡八幡宮流鏑馬神事 by Ryosuke Yagi
昔馬は戦争の道具だった


北のイスラエルは、当時の軍事力である軍用馬の数を増やすことによって自らの安全を図ろうとしましたが、かえってアッシリアに滅ぼされてしまいました。


イスラエル人が馬に頼ったことは、今日で言えば、核兵器、ミサイル、戦闘機、戦車、軍艦などの軍備に頼ることを意味するでしょう。


F-2 by torugatoru
今日の戦闘機は神の目に昔イスラエルが頼った馬です
馬を増やすこともエホバの目に淫行であり救いをもたらさない


今日でも、軍備を増強することによっては、自らの国の安全を図ることはできず、かえって自分が頼った世界強国に滅ぼされてしまう可能性が高いでしょう。私たちは自国の軍備に頼らないようにする必要があります。軍備に頼ることも、エホバの目には淫行であり、偶像崇拝です。(啓示17:5)


(3)人間の手で作った偶像を崇拝しない


北のイスラエルは、ヤラベアム王の始めた金の子牛崇拝を続けました。しかし、それは、職人が作ったものにすぎませんでした。(ホセア8:4-6;13:2)彼らは子牛をエホバと言って崇拝しましたが、その自己欺瞞は、国家の安全に何の助けにもなりませんでした。



golden calves set up by Jeroboam of Israel in Bethel and Dan used by Philipp Ulhart of Augsburg by Penn Provenance Project
イスラエルはエホバの崇拝と称して子牛を崇拝した


それで、私たちは、聖書の神への崇拝であると称して、「自分たちの手でこしらえた」もの、すなわち神社の祭壇、仏像、イエス・キリストの像、マリヤ像を崇拝することも避ける必要があります。(ホセア14:8)




YASUKUNI shrine. by MIKI Yoshihito (´・ω・)


靖国神社 Yasukuni Shrine, Santuario de Yasukuni by Bermi Ferrer
神社の祭壇を崇拝する偶像崇拝は国家の安全の助けにならない


法隆寺金堂の釈迦三尊像。中央が釈迦如来、向かって右が薬王菩薩、左が薬上菩薩
仏像を崇拝することも偶像崇拝


昔のイスラエル人は、エホバの不興を買う点を悔い改めたので、エホバはイスラエルに対して、次のように言われました。「わたしは彼らの不忠実をいやす。自ら進んで彼らを愛する。わたしの怒りは彼から離れたからである。」「わたしは必ず答え応じ、彼をずっと見守る。」(ホセア14:4,8)昔、北のイスラエルの人々は、悔い改めて、バビロンから帰還し、故国で神殿を再建し、エホバの崇拝を再び始めて、エホバの是認と祝福を得ることができました。


今日の私たちもエホバの是認を得るために、救いのために何にもならない偶像崇拝を慎重に避けて、エホバだけを崇拝するようにしましょう。


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