使徒26章・バプテストのヨハネとパウロの証言方法との違い

「わたしがユダヤ人たちに訴えられているすべての事柄に関し、アグリッパ王よ、あなたの前でこの日に自分の弁明ができますことを幸いに存じます。」(使徒26:2)


上位の権威の立場にある人に対する証言の仕方において、バプテストのヨハネパウロは異なっていました。パウロは天的希望を持つクリスチャンでしたが、バプテストのヨハネはそうではありませんでした。ヨハネは立派な人でしたが、それでも一世紀のクリスチャンに聖霊が注がれて神の王国に入る人が選ばれる前に亡くなってしまいました。


エスは、「女から生まれた者の中でバプテストのヨハネより偉大な者は起こされていません。しかし、天の王国において小さいほうの者も彼よりは偉大です」と述べられました。(マタイ11:11)ですから、彼は地上に復活すると考えられますが、天的希望は持っていませんでした。


バプテストのヨハネは、イエスの死と復活の後まで証言を続けることはできませんでした。比較的早く命を失ってしまいました。しかし、パウロの証言の方法は効果的で、聞く人の心を動かしました。


バプテストのヨハネは、地域支配者のヘロデ・アンテパスが自分の兄弟の妻のヘロデアと姦淫の関係にあることを非難しました。その結果、ヨハネは投獄されました。「 ヘロデは,自分の兄弟フィリポの妻ヘロデアのことでヨハネを捕らえて縛り,獄に入れたからであった。それはヨハネが,『あなたが彼女を有しているのは正しくない』と彼に言っていたためであった。」と聖書は記録しています。(マタイ14:3,4)



Herod and Herodias receive the head of John the Baptist.(herod)
バプテストのヨハネは王の不品行を非難して処刑されてしまった



歴史家ヨセフスによるとヘロデ家は名目上はユダヤ人だったので、ヘロデ・アンテパスも名目上モーセの律法の下にありました。それで、ヨハネがヘロデに律法中の基準を要求するのは正当な事でした。ところが、ヨハネの証言は関係者を怒らせ、結果としてヨハネはヘロデの誕生日に殺されてしまいました。(マタイ14:6−10)


一方、使徒パウロの政治支配者に対する証言の仕方は、上なる権威の人々に対する敬意を特徴としていました。例えば、パウロはヘロデ家の家系のアグリッパ王とベルニケの前で証言したことがありました。史実によるとベルニケはアグリッパ王の肉の姉妹でしたが、彼女は夫を捨ててアグリッパと近親相姦結婚をしていました。パウロはそのことについて知っていたことでしょう。なぜなら、パウロは拘禁されていても仲間のクリスチャンの世話を受けていたので、仲間から情報を得ていたと考えられるからです。(使徒24:23)でも、パウロは彼らの悪行については触れませんでした。


もちろん、聖書は近親相姦などの淫行を非としています。(レビ18:9。申命記27:22)でも、パウロは、アグリッパとベルニケの個人的な悪行については何も言いませんでした。それどころか、パウロは、アグリッパに称号を用いて語りかけ、上位の権威に当然の敬意を払いました。(使徒26:2)



Paul before King Agrippa and Bernice -- Acts 25: 13--26: 32.(paul3)
パウロはアグリッパとベルニケの近親相姦については口をつぐんで証言した


さらに、パウロは、アグリッパの長所と思われる点を指摘しました。アグリッパに、「とりわけ、あなたはユダヤ人の間のあらゆる習慣や論争に精通した方だからです」と言ってアグリッパを褒めました。(使徒26:3)



Paul before Agrippa.(paul2)
パウロはアグリッパ王の良い点をほめ敬意を払って証言した


そして、「わたし[の申し上げること]を辛抱してお聞きくださるようお願いいたします。」と要求ではなく、お願いする形で敬意を払って話しました。(使徒26:3)さらに、パウロは、アグリッパがその悪行のゆえに何の信仰も持っていないとは言いませんでした。アグリッパが、聖書の預言に対する信仰を持っているという確信を言い表しています。(使徒26:27)


パウロの証言は、アグリッパ王に「あなたはわずかの間に、わたしを説得してクリスチャンにならせようとしている」と言わせました。(使徒26:28)そして、パウロは、アグリッパやユダヤの総督フェストから、「死やなわめに価するようなことは何もしていない」という客観的で公平な評価を得ることができました。(使徒26:31)そして、高位の立場にある人に対して「証し」をするという神のご意志を続けることができました。(マタイ10:18)


ですから、私たちは上位の権威に、とりわけ初めて証言する場合、敬意を払いながら相手の人の個人的な悪行について口を閉ざすのが、賢明であると言えます。結局、王国の音信を聞いて最初から神の律法に合わせることのできる人はいません。そのためには聖書の知識を取り入れる大変長い時間がかかります。そして、できる時には、政治指導者の長所を褒めることができます。聖書は政治支配者たちが「恐れ」や「誉れ」を求める場合は、「恐れ」や「誉れ」を示すようにと勧めています。(ローマ13:7)


王国相続者のパウロとバプテストのヨハネの証言方法を比べてみるならば、パウロの証言方法が良い効果を産み出し、証言を続けることができました。クリスチャンは王国相続者である使徒パウロの証言の方法に見習うことによってより賢明に行動できます。


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