マルコ13章・地の果てから選ばれた者たちを集める

 「そしてその時,彼はみ使いたちを遣わし,四方の風から,地の果てから天の果てまで,自分の,選ばれた者たちを集めるでしょう。」(マルコ13:27)


 エスはマルコ13章のご自分の臨在と事物の体制の終結のしるしとして、地の果てから選ばれた者たちを集めると言われました。同様のイエスの言葉は、マタイ24章31節にもあります。マタイによると、イエスは「大きなラッパの音とともに」自分の使いたちを遣わし選ばれた者たちを集められます。これは、何を意味しますか。


 マルコ13章27節で予告されたことが起きるのは、どのタイミングでしょうか。


 マルコ13章19節で、イエスは創造の初めから起きたことがなく二度と起きないような患難を予告されました。そして、マルコ13章24節で「その患難ののち」、天体に異兆が見られることを予告しておられます。そしてマルコ13章26節では、人々が人の子イエスが裁きのために到来していることを認めることが予告されています。おそらく、天体に起きる実際の異兆を見て、イエスの目に見えない到来を認めざるを得ないのでしょう。その時集める技が行われます。


  では、選ばれた者たちが集められるとは、実際に何が起こることを予告しているのでしょうか。


 まず、「選ばれた者たちを集める」といっても、これは文字通りに一箇所に集めることを意味してはいないと考えられます。それは、イエスが予告された羊とやぎを分ける業の際、すべての国の民が人の子イエスの前に「集められ」ると予告されていますが、これは、すべての国の民がイエスの前に文字通りに集められとは考えられないのと同じです。(マタイ25:32)


 では、選ばれた者を集めるとは何を意味するのでしょうか。(マタイ24:31)聖書は、「集める」という表現をいろいろな意味で用いているようです。


 ひとつは、死者のもとに「集める」という場合は、集められる人が死ぬことを意味しています。例えば、ユダの王ヨシヤが死ぬことを述べた時、「父祖たちのもとに集める」と言われています。(歴代第二34:28)また、モーセやアロンについても死ぬことを「自分の民のもとに集められる」と表現されています。(申命記32:50)


 ですから、「選ばれた者たちを集める」という言い方は、その時まで選ばれていた天的希望を持つ者たちが死ぬことを意味しているのかもしれません。


 マタイ24章31節では、「大きなラッパの音とともに」「選ばれた者たちを集める」と述べられています。そして、聖書は、死者の天的な復活と「ラッパ」を結び付けています。聖書は、「最後のラッパの間に」不滅の者として復活すると述べています。(コリント第一15:52)また、死者の天的な復活と、「主の臨在」と「神のラッパ」が結び付けられています。(テサロニケ第一4:15,16)


ですから、選ばれた者が集められるとは、おそらく地上にいる選ばれた者たちが、天に復活することを意味しているのでしょう。また、それはキリストの臨在の現れですから、そのことはイエスキリストが天で王権を取られたことを証明しています。




7 Angels 1 by Waiting For The Word (trumpet)
聖書はラッパと天的な復活とを結びつけているので選ばれた者が集められるとはキリストが天で王権を取り選ばれた者が忠実のうちに死に天に復活することを意味しています


 さらに、イエスは、小麦と雑草のたとえ話の中で、「雑草を集め、焼いてしまうためにそれを縛って束に」し、その後、み使いたちが小麦を倉に「集める」ことにとりかかると言われました。(マタイ13:30) また、ルカ3章の中では、もみがらを火で焼き払って、脱穀場をきれいにして後、小麦を倉の中に集めると述べられています。(ルカ3:17)


 このことは、とりわけ大いなるバビロンの実体が明らかになった後に、または、大いなるバビロンが滅ぼされた後に、小麦級つまり王国の希望を与えられているクリスチャンが天に復活して神の王国に入ることを意味しているのでしょう。



Wheat sacks in a Portland, Oregon warehouse by OSU Special Collections & Archives : Commons(wheatinwarehouse)
雑草が焼かれた後に小麦は倉に入れられますから大いなるバビロンが滅びた後に選ばれた者は天に復活することになるようです


 「四方の風から,地の果てから天の果てまで、自分の,選ばれた者たちを集める」とは、全地にいる選ばれた者たちがひとり残らず報いを受けること、天的希望への召しが終了することを意味しているのでしょう。


 私は、以前は、大患難の前に14万4千人は、そのほとんどが命を失うと解釈していました。確かに、大患難の前に大いなるバビロンによる迫害によって命を失う14万4千人の者もいるでしょう。また、大いなるバビロンの滅びの前後に、北の王の迫害によって命を失う14万4千人の者もいるでしょう。


 しかし、ダニエル書は、最終的には、選ばれた者たちは、北の王によって滅ぼされることを示しています。(ダニエル8:24)また、エゼキエル書は大いなるバビロンの滅びの後この事物の体制の終わりの直前に、北の王が山に逃れたクリスチャンの集まりに対して総攻撃をしかけることを示しています。(エゼキエル38:8,16,21,22)


 ですから、やはり大いなるバビロンの滅びの後に、北の王の時代になった後、この事物の体制の終わりの直前まで、選ばれた者は存在するのかもしれません。


 いずれにしても、聖なる者たちの多くが、神の王国の希望を捕らえるのは、大いなるバビロンの滅びの前後でしょう。しかし、山に逃れて大患難を生き残る選ばれた者たちもおそらくいるでしょう。そして、一世紀にも、大勢の油そそがれたクリスチャンが山に逃れて命を保護しました。油そそがれた者たちはこの終わりの時に山に逃げる時も、中心的な役割を果たすことになるのでしょう。



Village of Siat, Switzerland, with view on the Rhine by Ramon Cahenzli (mountain3)
多くの選ばれた者たちは山に逃げる時も生きていて中心的な役割を果たしその後天的な報いを受けるのでしょう




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