詩編10編・神に信仰を持つ者と無神論者に対する裁き

 詩編10編では、邪悪な者の無神論的な考え方について教えてくれます。また、神に信仰を持つ者のために神が裁きを行って下さることについて記されています。


 邪悪な者は、『「神はいない」というのが、その考えのすべてです。』(詩編10:4)邪悪な者たちは、神の存在をあざけります。邪悪な者が、神の存在を認めることができないのは、彼らが、「不遜にも調べることを」しないからでもあります。(詩編10:4)


 邪悪な者たちは、神の存在を裏付ける自然界の証拠や、聖書を裏付ける考古学的な証拠などを謙遜に調べることをしません。また、学んで受け入れると言う態度で聖書を読むことをしません。それで、「彼はエホバに対して不敬な態度を取り」ます。(詩編10:3)


 邪悪な人は、神を信じておらず神を恐れないので、悪いことを平気でします。「罪のない者を殺し」たり、「不幸な者を見つけ」て、「苦しんでいる者を力づくで連れ去ろうと」します。(詩編10:8,9)


 あるいは、邪悪な人は、神の存在を親や他の人から幾らか聞いているかもしれません。しかし、邪悪な者は、悪いことを行ったとしても、心の中で神は「言い開きを求めない」と考えます。(詩編10:13)それで、「わたしは代々災いに遭うことはない」と考えます。(詩編10:6)


つまり、善悪に関して裁きを行なう神に対する恐れが全くないので、自分たちは、いつまでも安全に存続し続けると考えます。


 それで、聖書は無神論懐疑論が道徳基準を無視した悪行につながると述べています。神に対する恐れがないとその社会は、犯罪の発生率が高くなるでしょう。また、その社会で、例え、宗教が受け入れられていても、善悪に報いられる神に対して確固とした信仰を持っていないなら、弱い信仰はやはり犯罪を抑制するものにならないでしょう。


 一方、苦しんでいる人は神に頼る傾向があります。詩編10編によると、「不幸な者、父なし子は」、神に「身をゆだねます。」(詩編10:15)


 例えば、聖書の中で「父なし子」として神に頼ったユダヤ人として、ペルシャの王の王妃となったエステルがいます。(エステル2:7)彼女は幼い頃、両親を失ったので、おじのモルデカイに引き取られました。エステルは神に信仰を持って行動しました。その結果、神は、「その助けとなってくださいました。(詩編10:15)エステルはユダヤ人の救いに貢献しました。




The Feast of Esther (Feest van Esther, 1625) by Jan Lievens, held at the North Carolina Museum of Art. (esther3)
父なし子のエステルは神に信仰を持って行動しユダヤ人の救いに貢献しました




 他にも聖書に登場する「父なし子」として、裁き人のエフタがいます。彼は遊女の子でした。(裁き人11:1)ですから、彼の後ろ盾となる父はいませんでした。しかし、彼は、アンモン人と戦った時、神に頼りました。(裁き人11:30,31)神はエフタに勝利を与えました。


 また、「不幸な者」として神に頼った人として思い出されるのは、ナオミです。彼女は、夫も二人の息子も失うという不幸を経験しました。(ルツ1:21,22)


けれども、ナオミは、神に信仰を抱いていたので、息子の嫁のモアブ人ルツに神について教えました。(ルツ1:8,9)ナオミとルツの神に対する信仰は報いられて、彼女たちは貧困から救われました。ナオミは老年を養ってくれる家族を得て、孫を自分の腕に抱く結果になりました。(ルツ4:15,17)



 Ruth's Wise Choice; as in Ruth 1:14-22; illustration from a Bible card published by the Providence Lithograph Company (naomi2)
ナオミは不幸を経験しましたが神に依り頼みルツの助けを得て老後を養ってくれる家族を得ました



 それで、エホバ神は、その人の人生の中でも、不幸な者や苦しんでいる者たちの信仰に報いられます。しかし、神は、時代の大きな流れの中で、そうした人々の信仰に報いられることがあります。


 「地の者である死すべき人間がもはやおののきを生じさせることのない」ようにされることがあります。(詩編10:18)大患難の時に、他の人を虐待する邪悪な者たちを同士討ちによって滅ぼされます。(マタイ24:15,16)ですから、不敬にも神を認めない邪悪な者たちは、災いに遭ってその命を失う結果になります。




by joaquinuy (mountain21)
神は柔和な者たちの平和に暮らしたいという願いを聞いてくださいます


 そして、神は、「父なし子や打ちひしがれた者のために裁きを行な」われます。(詩編10:18)そして、神は「柔和な者たちの願いを」「聞いてくださいます。」(詩編10:17)柔和な者たちの平和に暮らしたいという当然の願いを聞いてくださいます。


それで、邪悪な者が苦しんでいる者たちを苦しめたり殺したりするのは一時的なことです。神は、ご自分に信仰を持って頼る苦しんでいる者たちや不幸な者たちのために助け手となってくださいます。大患難の前に山に逃げる人々は、必要な食物を得て命を長らえ平和な生活を送れることでしょう。愛あるエホバ神に信仰を抱いて頼りましょう。