ひとりの人の悪行により会衆全員に対して神の憤りが臨む―エホバの証人

 エホバ神は、神の僕の会衆を全体として扱われることがあります。それで、ひとりの人が悪行を犯しただけで、神の僕の会衆の全員に対して神の憤りが臨んで、神の民の会衆が手痛い敗北を被ることがあります。このことは、今エホバの証人に起こっていることを説明するものかもしれません。




Photo: Robert de Jong. (jehovah'switnesses14)
エホバの証人の精力的な努力で信者になる人がいるのにそれでも減少しているのはなぜでしょうか



 昔、エジプトから出てきたイスラエル人に起きたことを振り返ってある人がこう言いました。「滅びのためにささげられたものに関して不忠実な行為をしたのはゼラハの子アカンではありませんでしたか。そのためにイスラエルの集会の全員に対して憤りが臨んだのではありませんでしたか。そして、彼のとがのために息絶えたのは彼一人ではなかったのです。」(ヨシュア22:20)


 アカンは、神が滅びにささげるようにと命じられた物が欲しくなり、神の命令に背いて盗みを働きました。不忠実な行為をしたのは、アカンとその家族でした。罪を犯した主要な人は、アカンひとりに過ぎませんでしたが、エホバ神はイスラエルの集会の全員に対して憤りを表しました。


 イスラエル人は、人数の多いエリコの攻略に関しては、エホバの助けがあったので大勝利を収めました。しかし、次のアイという小さな都市を攻略するさい敵の前に背を見せて逃げ出しました。そして、アイでの戦いで、36人が死にました。(ヨシュア7:4,5)


 ヨシュアはエホバ神に祈り、イスラエルの中で神に対する罪が犯されたことを知りました。(ヨシュア7:11,12)エホバは、「イスラエルは罪を犯した。・・・だから、イスラエルの子らはその敵に対して立ち向かうことができない。・・・その滅びのためにささげられたものをあなた方の中から除き去るまで、あなたは敵に立ち向かうことができない。」と言われました。(ヨシュア7:12,13)


それで、イスラエルは敵に対して勝利を得られなかったのは、アカンの悪行のためにエホバの不興がイスラエルに臨んでいたからです。


 それで、ヨシュアはアカンが罪を犯したことを明らかにして、アカンとその家族を石打ちにして殺しました。(ヨシュア7:25)そうして後、イスラエル人はアイとの戦いで勝利を得ることができました。(ヨシュア8:24,25)




Achan Is Stoned to Death (Josh. 7:1,10-26) (achan1)
アカンの罪のためにイスラエル人は敗北しアカンを石打にして初めて神の助けが得られました
神の組織が神の助けを得るために神の律法を断固として擁護する必要があります




 イスラエルに起きたことは、神の組織と自称する組織の中で、ひとりの人が神の不興を買う神の律法違反をしている場合、その人に毅然とした処置が取られないと、その組織全体に対して神の不興が臨む場合があることを示しています。その組織は神のご意志を行う上で、うまくいかないでしょう。ある程度敗北を被るでしょう。

 
 今日、クリスチャンと自称する組織は数多くあります。エホバ神は、神の組織の中に神の律法違反があることを容認しません。ひとりひとりが神の律法をしっかりと守ることを求められます。エホバのご要求はある意味厳しいと思います。


 もし、神の組織を自称する組織であれば、神の律法に違反している人がいれば、懲らしめを与えたり、排斥したりして、毅然としてその問題を扱う必要があります。そして、組織内で高い聖書の道徳基準を維持する必要があります。そうしないならば、他の人に神の不興が及ぶ場合があります。


 その組織の成員が減ったり、神のご意志を行う点でうまくいかなったり、エホバの保護が取り除かれて命を失う人が出てくるということさえあるかもしれません。啓示の書でも、淫行と偶像崇拝に陥っていたイゼベルとその姦淫の相手を大患難に投げ込むとイエスは言われました。(啓示2:20,22)


 このことを考えると、エホバの証人が悔い改めないで児童虐待を行い続けた人を排斥しないで、そのままにしておいたコンティ事件は、大変悪い結果を招く出来事でした。また、ネットによると、エホバの証人が神の律法を毅然として守る点でてぬるかったのは、コンティ事件だけではありませんでした。


 例えば、米国ABCテレビで取り上げられたカリフォルニアのスペイン語会衆に交わるゴンサロ・カンポスの事件がありました。カンポスも児童の性的虐待を行いました。カンポスは3人以上の子供たちに、繰り返しわいせつ行為をおこなっていました。彼は長老から叱責されましたが、悔い改めたとみなされ、許されました。そして、その六か月後に再びカンポスは奉仕の僕に任命され、後になって再び児童虐待の罪を犯しました。



Convicted serial pedophiles are STILL active as Jehovah's Witnesses, WHY?



 長老たちは、児童虐待された子供の親には知らせず、カンポスを厳しく叱責しました。しかし、三人の児童に対して罪を犯したのであれば、それは、たまたま油断している時に罪に陥ったという問題ではありません。その罪は意図的であり、「罪を習わしに」しているので、排斥するべきだったでしょう。(テモテ第一5:20。ヘブライ10:26。ヨハネ第一3:4)


 また、そのことを、虐待された親に知らせなかったのも、非常に不当な扱い方でした。


 最初に子供を虐待された親が、長老たちとものみの塔を相手どって訴訟を起こしました。こうした事件が起こるということは、確かにエホバの証人の一部が性的不品行の問題について生ぬるいということを示しています。


 私は、性の不道徳に対して生ぬるい扱い方をするのがエホバの証人全体のやり方ではないことを知っています。私は、性の不道徳のために排斥されたエホバの証人を何人も知っています。


 しかし、エホバの証人の会衆の一部で、神の律法違反に対して、生ぬるい処置が取られるならば、エホバの証人の組織全体の上に対する神の祝福が一部取り除かれる場合があります。実際、最近エホバの証人の増加は多くの国で止まっています。また、エホバの証人はこのことでネットで非難されています。


 エホバの証人は、自分たちの組織の上に神の是認とをとどめるためには、律法に違反して悔い改めない人々を毅然として排斥する必要があるのです。また、会衆で起きた淫行の問題を取り扱う点で、自分たちのやり方が聖書と調和しているか吟味する必要があると思います。


 また、他にもし、キリスト教を自称する組織が存在すれば、エホバの証人を非難するだけでは十分ではありません。エホバの証人は、全体として、性の不道徳に反対する立場をとっていながら、このようなことが起こっているのです。エホバの証人に起こっていることから他の神の組織と自称する組織は学ぶことが必要です。


 エホバの証人を非難するよりも、自分たちの組織は神の律法をひとりひとりが確固として守っているか吟味する必要があります。キリスト教を自称する組織であればどこでも、自らを省み細心の注意を払って組織内で神の律法を守るように努力する必要をアカンの事件は教えてくれます。