コリント第二12章・パウロの連れ去られた第三の天とパラダイス


「わたしはキリストと結ばれたひとりの人を知っています。・・・そのような者として第三の天に連れ去られました。 ・・・ その人はパラダイスに連れ去られ,人が話すことを許されず,口に出すことのできない言葉を聞いたのです。」(コリント第二12:2,4)


 パウロは「超自然の幻と啓示」を受けた経験について語っています。(コリント第二12:1)パウロは第三の天、またパラダイスに連れ去られたと述べています。第三の天、パラダイスとはどこなのでしょうか。パウロは実際どんな経験をしたのでしょうか。聖書からどのように解釈できますか。考えてみましょう。


 エホバの証人は、パウロが連れ去られた「第三の天」「パラダイス」を、霊的パラダイスであると解釈しています。つまり、パウロの経験した「パラダイス」とは、西暦1919年以降エホバの証人の言う大いなるバビロン、偽りの宗教の世界帝国から解放されてエホバの証人が導き入れられた霊的な状態を意味すると考えています。私は、この解釈は間違っていると思います。

 
 第三の天という表現は聖書の中に他に見当たりません。けれども、聖書の中には、「もろもろの天」という表現があって、幾つかの天があることを示唆しています。(ヘブライ4:1;7:26)では、どんな天があるでしょうか。


 まず、「大空」は「天」と呼べます。創世記1章8節には、神は、「大空を“天”と呼ぶことにされた」とあるからです。「天の鳥」とありますから、「天」とは鳥がそこを飛ぶ大気圏を意味しているで しょう。(マタイ6:26)




Gold Coast Sea gulls by d.i. (sky3)鳥の飛ぶ天の大空は第一の天です




 さらに聖書は、エホバ神が作られた「天の天」について述べています。(ネヘミヤ9:6)「天の天」とは何でしょうか。ソロモンは、「天の天」はエホバ神を入れることはできないと言いました。(歴代第二2:6)ですから、エホバ神の行動範囲は天の天を超えています。ですから、「天の天」とは、エホバ神のおられる霊の世界ではありません。


聖書は、「天の天と、その全軍」と言うことによって、宇宙空間とその中にある軍勢に例えられる星々について言及しています。天の全軍とは太陽や月や星々を意味します。(ネヘミヤ9:6。エレミヤ8:2。申命記4:19)このことから、「天の天」とは星々の存在する宇宙空間でしょう。



Earth From Space by San Diego Air & Space Museum Archives (space2)
太陽や月や星が存在する宇宙空間の天の天は第二の天です




詩編の中で、「天の天」は、 「天の上の水」と並べられて言及されています。(詩篇148:4)ですから、「天の天」とは、「天の上の水」と同じか、あるいはそれより上空にあるものです。「天の上の水」とは、大気圏にある雲の水分を表しているでしょう。大空が「天」なのです から、このことからも、「天の天」とは大気圏のさらに上にある宇宙空間を意味しているでしょう。




Clouds by walkinguphills(cloudsea1)
天の上の水つまり雲海のある所も天の天つまり第二の天です




 さらに、聖書は、「神の聖なる住まい」である 「天」があることを示しています。(歴代第二30:27)エホバ神が住んでおられる霊の領域の「天」があります。詩編には、「神は天から[使い]を送 (る)」とありますから、天は霊者のみ使いたちも通常いる所です。(詩編57:3)


 それで、大空の「天」とその上にある宇宙空間の「天の天」があります。大空を第一の「天」、宇宙空間の「天の天」を第二の天と言えます。ですから、パウロが言及した「第三の天」とは、おそらく別の天であるエホバ神とみ使いたちがいる霊の領域の「天」を意味するでしょう。


 し かしながら、パウロは文字通りにエホバ神やみ使いたちのいる霊の領域に連れて行かれたのではないでしょう。なぜなら、聖書は天の神の王国には、「肉と血」 の体では入れず、霊の体を着けなければならないと述べています。(コリント第一15:50)それで、パウロは、幻のうちに、霊の領域に連れて行かれたので しょう。


 第三の天に「連れ去られた」という表現から何が分かりますか。「連れ去られた」という表現は、啓示12章5節に出てき ます。そこでは、天の女の産んだ子供が神の「み座のもとに連れ去られた」ことが述べられています。これは、何を意味していますか。


 「み座のもとに」と言っ てもそれは必ずしも、真の崇拝者が死んで天の神のもとに復活したという意味ではありません。なぜなら、大患難から生きて出て来て地上にいて神に奉仕をささげている大群衆も、「神のみ座の前」にいると述べられているからです。(啓示7:15)


 さらに、地から買い取られた十四万四千人の者も、「み座の前で」新しい歌であるかのような歌を歌っていると述べられています。(啓示14:3)「地のすべての者」に「新しい歌を歌え」と命じられていますから、新しい歌は、この地上でも歌われます。(詩編5:9)ですから、み座の前と言っても、この地上を意味することもあります。


 その男の子は、天の神の王国の成員である14万4千人として「選ばれた者」でしょう。(マタイ24:31。コ ロサイ3:12 。啓示12:5;2:26,27)それで、その男の子が「神のもとに連れ去られた」とは、おそらく地上で霊的に優れた啓発を受ける状態に移されたという意味でしょう。


 同様に、パウロが「第三の天に連れ去られた」とは、文字通りの天の領域に移されたのではなく、幻のうちにエホバ神のおられる霊の世界に移されて、霊的に優れた啓発を受ける状態に移されたということを意味しているでしょう。


 「パラダイス」とはどこでしょうか。イエスは将来の地上のパラダイスについて予告されました。(ルカ23:43)しかし、啓示の書は、天的希望を持つ者たち が行くことになる天の領域、「神のパラダイス」について述べています。(啓示2:7)パウロが言及したパラダイスは、彼が死んで 復活して行くことになる霊の領域の「神のパラダイス」について言及しているのでしょう。


 パウロが聞いた「人が話すことを許されず,口に出すことのできない言葉」とは何でしょうか。パウロは、「み使いの[いろいろな]ことば」があると述べました。(コリント第一13:1)み使いのことばは人は話すことはできません。ですから、パウロが聞いたことばとは、み使いのことばでしょう。


 パウロは、将来自分が復活して行くことになっているエホバ神のおられる天の領域の幻を見て、そこでみ使いの言葉を聞いたのでしょう。ですから、パウロ はイエスから超自然の幻と啓示を受けて、霊の領域の第三の天、天的なパラダイスの様子をかいまみたことを述べているのでしょう。(コリント第二 12:1,4)




(angels6)
パウロは幻のうちにみ使いたちのいる第三の天に連れ去られてみ使いたちのことばを聞いたたのでしょう




 その幻を見て、自分の死後に行くことになっている天の領域は、パウロにとって現実的なものになったでしょう。その超自然の幻を見て、パウロは、最後まで神に忠誠を保つように励まされたでしょう。選ばれた者たちは、エホバ神のおられる天の領域について信仰を強めることが必要です。そうするならば、パウロのように死に至るまで、神とキリストに忠実を保つことができるでしょう。