エホバの証人の児童虐待に関する立場−統治体からの長老団宛ての手紙


Counselman Collection South Half (convention3)
エホバの証人児童虐待に関してどんな立場を取っているでしょうか



2012年10月1日付の統治体からの長老団当ての英語版の手紙

 私は、児童虐待に関するエホバの証人の日本支部からの長老団宛ての手紙をかいつまんでお知らせしました。これは、2013年2月11日付けの手紙です。


 そして、アメブロのレイリーさんからの情報によると、この手紙は、2012年10月1日付の統治体の英語版の手紙を支部が日本語に翻訳した手紙のようです。上のリンクで、元になっている統治体の手紙を示します。


 ということは、私は、エホバの証人の統治体は、数々の児童虐待の問題に対して、聖書的に妥当な方策を取るように努力をしているように思います。


 アメブロのレイリーさんや他の人々は、児童虐待の問題を地元の長老ではなく支部が扱うということに反対しています。しかし、地元の当事者たちで扱うのが難しい問題を、さらに霊的な資格のある人が扱うという事例は聖書の中にも出てきます。


 例えば、昔エジプトから出てきたイスラエル人は、最初は、問題がある時すべてモーセにその問題を持っていっていました。(出エジプト18:14-18)しかし、モーセのしゅうとが助言して、小さい問題は、民の頭として任命された裁き人たちが扱い、彼らが扱いきれない難しい問題はモーセのもとに持っていかれることになりました。(出エジプト18:25,26)


 児童虐待の問題は難しい問題だと言えるので児童虐待の問題を支部に報告して、支部が判断するようにするという処置は、聖書に調和していて間違った対応の仕方であるとは言えません。


 エホバの証人の統治体は、児童虐待の問題を重要な問題と考えているために、地元の長老団に支部に報告するように求めているのではないかと思います。


 また、児童虐待の問題について支部に報告がなされているなら、支部児童虐待者が他の場所に移動しても、奉仕の立場に任命することを差し控えるよう移動先の会衆に助言することができると思います。ですから、各地の地元の長老だけしか問題を知らない場合より、児童虐待をしたことのある人は、奉仕の立場に任命されにくくなると思います。


 エホバの証人は、会衆間で成員が移動したとき、申し送りをします。ですから、成員に関する情報はある程度は会衆間で共有されます。しかし、たとえ会衆間の申し送りがあるとしても、支部が情報を把握しているならば、その問題について問題が起きないようにさらに慎重に対応できると思います。


 地元の会衆の長老団ではなく、支部の長老が児童虐待の問題を扱うようにという統治体の指示は、児童虐待の問題を軽視したり、罪を犯した人を守ろうとする意図ではなく、かえって児童虐待の問題を重大だと考えるからこそ、そのような処置を取ることになったのではないかと思います。


 また、ある人は、エホバの証人が、人を罪に定める際、最低二人の証人がいることを求めていることに反対しています。事件を立証するのに少なくともふたりの証人を求めているのは、聖書の指針です。聖書は、「一切の事は二人か三人の証人の口によって確証されねばならない」と述べています。(コリント第二13:1)


 一人の証人だけでは事件が立証されないとすると、児童虐待の場合、虐待された人しか証人がいない場合に、犯罪が発見されないことが起こりうるかもしれません。しかし、聖書の述べることは背後に理由があります。


 ひとりの証人で人が罪に問われるとしたら、誰かが誰かを罪に陥れようと考えて偽証し、無実の人が罪に問われる可能性が高くなってきます。聖書の中にも、偽証によって無実の人が罪に陥れられた事例が出てきます。ナボテは偽証によって罪に陥れられました。(列王第一21:11-13)


 一人の人の証言で罪が立証されるとしたら、無実の人が偽証によって罪に陥れられる可能性が高くなります。複数の人が偽証を行う可能性もあるとはいえ、少なくともふたりの証人がいれば、偽証によって無実の人が罪に陥れられる可能性をかなり減らすことができるでしょう。


 また、聖書は淫行が犯される場合、襲われた人の方にも、叫んで抵抗する責任を課しています。(申命記22:25-27)被害者が抵抗して叫ぶならば、その淫行を自発的に進んで行ったわけではないことを示すことができます。また、もし、抵抗して叫ぶならば、証人が存在する可能性も高くなるでしょう。



The Scream by BenedictFrancis (scream1)
淫行が犯される場合襲われた人にも叫んで抵抗する責任があります―そうすれば証人も存在する可能性が高くなるでしょう―親は子供に抵抗する必要を教える必要があります

 
 稀な事例かもしれませんが、女性や年少者の方から誘惑をしかけるということさえ、あるかもしれません。もちろん、女性の方から誘惑をしかけても、年長者の男性にも責任はあります。


 モーセの律法下では、年少者にも襲われた人が叫ばなければならないという要求が知らされました。聖書の朗読の集まりに子供たちも出席しましたし、親は子供にモーセの律法の要求を教えることを義務付けられていたからです。(ネヘミヤ8:3。申命記6:6,7)


 このことは、親が子供に児童虐待者に襲われた場合、抵抗して叫ばなければならないことを教える必要性を示していると思います。
 
それで、淫行の場合にも、証人を少なくとも二人は求めている聖書は不当だとは言えないと思います。


 一般社会が犯罪を立証する時はそのようになっていないかもしれませんが、聖書の助言は、後になってその知恵が立証されるということが少なくありません。また、エホバの証人が聖書に従うことは、神の前で正しい行動をしていることになります。


それで、私は、エホバの証人が二人の証人が存在して初めて会衆での処置が取られるという聖書の手順に従っていることで非難されても仕方がないと思います。エホバの証人はその点では神のみ前では廉直な行動をするよう努力をしているのです。


 私は、今回、統治体は、児童虐待の問題に関して妥当な範囲で、聖書に従うよう努力を払っていると思いました。以前は、この手紙で示されたような指針に従っていなかったのかもしれません。しかし、もし、ふさわしくない部分を正したのであれば良かったのではないかと思います。