創世記2章・エデンの園にあった善悪の知識の木と命の木 

  エホバ神はエデンの園に善悪の知識の木と命の木を生えさせました。(創世記2:9)それぞれはどんな意味があったのでしょうか。


  エホバ神はエデンの園にアダムを置かれ、その園に美しく食物となるあらゆる木を地面から生えさせました。そしてエホバ神はアダムにエデンの園に生じるすべての木から好きなだけ食べてよいとの許可を与えられました。(創世記2:16)


 アダムは命を与えられ、生き続けるのに必要なものは十分備えられていました。ところがアダムがエデンの園に住み続けるために条件をつけられました。


 エホバ神は園の真ん中に命の木と善悪の知識の木を生えさせました。その善悪の知識の木の実を食べることは禁じられました。その木の実を食べるなら死ぬことになると警告されました。(創世記2:17)


 また、命の木の実からも食べることも禁じられていたようです。それで、アダムはエデンの園での備えを享受し続けるためには、善悪の知識の木の実は食べないようにしなければなりませんでした。


 善悪の知識の木とは何でしょうか。善悪の知識の木の実を食べないとは何を意味するのでしょうか。後になってアダムとエバは善悪の知識の木の実を食べてしまいました。(創世記3:6)それで、エホバ神は、「人は善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった」と言われました。(創世記3:22)


 「知る」という語には判断するという意味もあります。(創世記42:33)ですから、アダムとエバはその木の実を食べることにより、エホバ神のように独自に善悪を判断する立場に立ちました。


 ソロモン王は大勢のイスラエルの民を善悪をわきまえて裁くことがとても自分にとっては難しいということを認めました。(列王第一3:7)そして、「善悪をわきまえるために、従順な心」を与えてくださいとエホバ神に願い求めました。(列王第一3:9)ですから、ソロモン王は、エホバに従順であって初めて善悪をわきまえることができると言いました。ソロモン王の事実をわきまえた謙遜な態度はエホバに喜ばれました。





The Judgment of Solomon (solomon9)
ソロモンは神に従順であってはじめて善悪を判断できることを認めていました



 エホバ神は善悪を知っているのが、「わたしたち」と言われました。(創世記3:22)このことは、本来善悪を判断できる立場にあるのが、創造者のエホバ神と神の創造の業に「優れた働き手」となられたイエス・キリストであることを示しています。(箴言8:30)


 人間は万物の創造者ではありませんから、自分たちや自分たちの周りの世界についての知識や理解に欠けています。ですから、自分たちや世界にとって最善のことが何であるかを判断することはできません。人間は自分にとって何が善であるか何が悪であるかを判断することができません。


 正しく善悪を判断できる立場にあるのは、創造の業に携わられたエホバ神とイエス・キリストのみであって、被造物の人間はお二方の善悪の判断に従順であることによって善悪を正しく判断できます。エホバ神に従順であることによって自分に最善の益をもたらすように行動することができます。


 それで、食べることが禁じられた善悪の知識の木の実とは、人間のために、何が善で何が悪であるかを判断するエホバ神とイエス・キリストの権威と権利を表していました。確かにお二方はすべての物事の事情に通じておられますから、何が被造物にとって益となるかを判断する知識と知恵と識別力と理解をもっておられます。(箴言2:6。イザヤ40:28)




(treeofknowledge2)善悪の知識の木が実際には何であったかを聖書は述べていません−それは神が人間のために善悪を判断する権利を持ってあられることを示す木でした



 言い換えれば、アダムが尊重すべきだったのは、エホバ神が創造者であられるために、人間の支配者の立場にあるということでした。アダムは善悪の知識の木の実を食べることを控えることにより、エホバ神が人間のために善悪を判断する権利を持っておられ、エホバ神の人間の支配者の立場を認めていることを示すことができました。


 では、エデンの園にあった命の木は何を表すものだったのでしょうか。創世記3章22節によると、アダムが命の木から実をとって食べるならば、「定めのない時までも生きる」ことになるとエホバは言われました。(創世記3:22)


 ですから、もしアダムが妥当な期間、エホバ神の支配権に従順を示し、エホバに対する忠誠を示していたなら、エホバ神はアダムに命の木の実を食べることを許していたでしょう。アダムがそうしていたなら、アダムは地上で人間として永遠の命を享受することをエホバ神から許されていたことでしょう。命の木の実を食べることを許される人には、地上での永遠の命が与えられることが分かります。




(treeoflife3)命の木の実を食べるならば永遠に生き続けることを神に許していただけました



 命の木はエデンの園にあっただけでなく、聖書は比ゆ的な「神のパラダイス」に「命の木」があることを述べています。(啓示2:7)そのためには、イエスに見習って死に至るまでイエスの生き方に習うことが求められます。そうする時に、天的な召しを与えられたクリスチャンは天に復活して不滅の霊的な命を与えられます。


 エホバ神は私たちの命の与え主であられ、すべてのものの創造者ですから、エホバ神の支配権を認めることは、正しく正当で賢明なことです。エホバ神の支配はどんな人によってでもなく、神のみ言葉聖書によって示されています。


 また、天的希望を持つクリスチャンは聖書を説明する責任を持っています。(マタイ24:45)天的希望を持つクリスチャンの聖書の解釈に敬意を払いつつも、第一に自分で聖書に精通し、第一に聖書に従ってエホバ神とイエスキリストに従順を示しましょう。そのようにして、エホバ神の支配権に従順を示すことができます。それは私たちを永遠の命に導きます。



(bible79)第一に聖書に従ってエホバ神の支配権に従順を示しましょう−それは私たちを永遠の命に導きます