神が人間に神からの独立を許すしか方法がなかったのですか


 エホバ神は、アダムとエバがサタンにそそのかされた時に彼らとその子孫が神から離れて自治を行うことを許されました。(創世記3:23)その結果、人間は歴史を通して苦しみと災いを経験することになりました。(伝道の書8:9)


 このことを知ると、ある人は、神は全能なのであれば、人間にやってみないと分からないようにしか作れなかったのかと考えます。全能であれば、すべての人に一瞬で分からせることができたのではないか、人間が不幸を味わうような方法でわからせるしか方法がなかったのかと考えます。


 この点について考えてみましょう。


 確かに、この方法しかありませんでした。それは、人間が自由意志と理性を与えられていたことに伴って、人間には、本能は多くは与えられなかったからです。人間は、動物と違って本能、つまり生得的な知識によってその知性の大部分が支配されるようには創造されませんでした。(箴言30:24)代わりに人間は、動物と違っていつまでも学んでいけるように作られました。




Image from page 107 of "Our domestic animals, their habits, intelligence and usefulness;" (1907)by Internet Archive Book Images (animal2)
動物は生得的な知識はありますが学んで成長する余地が大変限られています



 聖書には、人間が知識と知恵と理解と識別力を求め続けることができると書かれています。(箴言2:2-6)そして、人間は、「思考力」と自由に選択できる能力を持つ者として創造されました。(箴言2:11。申命記30:19。ヨシュア24:15)


 人間は知識を習得して、その上に立って思考力を働かせて自分にとって益になる選択をすることができます。人間はそれまでに得た知識によって選択することができます。ですから、知識が増えれば人間はそれまでとは異なった選択をすることができます。そのようにして自由意志を働かせることができます。7





Reading a Book by CollegeDegrees360 (readabook2)
人間は学んで情報を取り入れより良い選択をすることができるように造られています




 しかし、私たちは、動物と違って学び続けることができることを嬉しく思うのではないでしょうか。また、自由意志を働かせて、自分が望む決定ができることを喜んでいるのではないでしょうか。


 また、人は、エホバ神は、神に反逆したアダムとエバを滅ぼして、新しい人類を作れば良かったのではないかと考えるかもしれません。エホバ神は、望むならば、そうすることができました。そして、人間に新たなスタートを切らせることもできました。そうしていれば、人間の歴史は当初は神の保護のもとにスタートしたことでしょう。しかし、そうしていたらどうなっていたでしょうか。


 新たに創造された人間は、アダムとエバが生き永らえて自治を行っていれば、どうなっていただろうかと考えたことでしょう。ひょっとして、サタンの言った通り、人間は神から独立してうまく自治が行えたのではないかと考えたのではないでしょうか。ひょっとして人間の自治が行われるならば、もっと幸福だったのではないかと考えることでしょう。



 そうなると、新しく創造された人類は、神の支配権に表面上は服していても、神の支配に対して疑念を抱くことになったでしょう。そうすると、新しく創造された人類が神の支配に心から服するということは難しくなったでしょう。



 それゆえに、神は人間の自治を許されることにされました。エホバ神は、サタンと人間が自分たちがしてみたいことに挑戦してみる機会を与えたわけです。それは、人間が学んで成長していく創造物だったからです。



 それで、アダムとエバは神から独立して、さまざまな支配形態を試すことになりました。ニムロデによる独裁政治、エジプトのファラオによるような専制政治アッシリアやバビロンの王によるような軍事力による支配、ローマの支配のような議会政治と皇帝支配を組み合わせた支配、共和制、議会政治、民主主義、共産主義、資本主義などいろいろな支配形態が試みられました。(創世記10:8-10)





ΠΑΣΟΚ - http://www.flickr.com/photos/pasokphotos/4011077299/in/photostream/
The swearing-in of the members of the Hellenic Parliament.(parliamentary1)
人間はありとあらゆる政治形態を試みて自らが良い支配を行なえるか実証する機会を与えられてきました



 人間の歴史の記録が残りました。結局、人間から、病気や老化や死を取り除くことのできた支配形態はひとつもありませんでした。また、貧富の差や事故や災害をいっさい取り除くことのできた支配形態も存在しませんでした。また、ほとんどの支配形態が数多くの戦争や紛争をもたらしました。人間は、経験を通して人間による支配が満足のいくものでは決してないことを知ることができました。(伝道の書8:9。エレミヤ10:23)





Filipino casualties on the first day of Philippine-American War(war8)
ところが多くの政治形態は戦争に導き死を取り除くことはできませんでした





 今日存在し、また将来存在するようになる人類は、人間の歴史の記録を学習すれば、神から独立した人間の支配がどんな結果になるかを理性的に判断できます。(エレミヤ10:23)



 そして、神の支配がどんなものになるかは、イエス・キリストが地上で活動された記録を通して、知ることができます。イエス・キリストは、人々の病気や障害をいやし、また、天候を制御することができました。(ルカ7:21。マルコ4:39)




Disciples chosen and sent out (jesus36)
キリストが地上で行われたことは神の支配がどのようなものになるかを示していました



 また、ソロモン王などの王が神に忠実に支配を行った時も、神の支配がどのようなものになるかをある程度示しているでしょう。ソロモン王の時代、人々は日常的な必要物に十分恵まれ平和な生活を楽しんでいました。(列王第一4:20)



 人間の歴史を冷静に学ぶならば、神の支配の方が最大多数の最大幸福を実現するということが分かります。それで、神の支配を選ぶか、人間の支配を選ぶか、十分な証拠に基づいて判断できます。(ヨシュア24:15)積み重ねられた歴史的証拠に基づいて判断する方が人間は神の支配の正当性を理性的に判断でき、永遠に宇宙の平和が保証される結果になります。



 神は、人間が理性的に物事を判断できるように人間に自由に歴史を作らせたのです。エホバ神が、アダムとその子孫に歴史を作らせるのが最善の方法だったのです。そして、それしか方法はなかったのです。



 そして、今の事物の体制下で命を落としてしまった人々の大多数は、地上の楽園で神によって復活させられて、神の支配権に関する論争と人間の歴史について学ぶことができます。(使徒24:15)



 聖書を読めば、人間が神に依存しており、神に服する必要があることが分かります。そうしたことを、人間は一瞬で分かるようになるということはありません。聖書全体を読んで考察することが求められます。



 それで、人間は、聖書を読んでそれを理解することが求められています。私たちは、聖書全体を読んで神が人間の行動に対してどのように対処してこられたかが分かります。また、神がエデンの園で取られた行動が熟慮に基づいており人間にとって最善のものであったことが分かります。