同性愛にはどのような弊害がありますか

 聖書は、同性愛を非としています。聖書は、「不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者は、・・・いずれも神の王国を受け継がない」と述べています。(コリント第一6:9,10)また、神は昔、同性愛にふけっていたソドムとゴモラの人々に天から火と硫黄を降らして、滅ぼされました。(創世記19:24,25)そのように、エホバは同性愛を決して容認されないというご自分の立場を明らかにされました。


 当然、同性愛を行なう人々は、天的希望も地的な希望も神からいただくことはできません。この事物の体制の終わりには神の天の軍勢によって滅ぼされてしまいます。


 しかしながら、現代世界では、同性愛は受け入れられる傾向にあります。では、聖書はなぜ同性愛に反対しているのでしょうか。同性愛にはどのような弊害がありますか。


             同性愛者は周囲の人々と親しい関係を築くのが難しい


 異性愛者であれば、同性の人々とは友情を築き、異性に対して性的関心を抱きます。ところが、同性愛者は、同性の友人と安定した関係を築くのが難しくなることが報告されています。なぜなら、同性に対して性欲を抱くため、同性と友人関係になれなかったり、また、同性愛者であることが明らかになると、友人関係が壊れてしまうことがあるからです。また、思春期には、家族から浮いていると感じて、良好な関係を築けないことがあります。(「同性愛者のセクシュアリティ−研究の視点と展望−久留米大学心理学研究2010」)


 ダビデヨナタンは互いに強い友情で結ばれていました。(サムエル第一18:1)しかし、それが可能であったのはふたりが同性愛を禁ずるモーセの律法に従っていたからです。モーセの律法下では、同性愛は死刑に規定されていました。(レビ20:13)ふたりは、互いの結婚関係を尊重していました。もし、ふたりが同性愛者であれば、互いの結婚関係を破壊するというような利己的なことをしたかもしれません。






(David and Jonathan)
ダビデヨナタンは同性愛を禁ずるモーセの律法に従い強い友情を築きました





 同性愛を避ける方が他の人との健全で親しい関係を築くことができます。

 
                       同性愛者の二重世界


 同性愛者は二重世界に住むという問題を抱えます。同性愛者は、異性愛者の世界では通常、窮屈に感じ、同性愛のコミュニティーの中でだけ心地よく感じます。よくネットの同性愛のサイトなどでは、会員制をとっており、異性愛者のアクセスを拒否しているということです。


 それで、多くの同性愛者は、家族や親しい友人との接触以外は異性愛者との交流は避け、自分たちの世界に閉じこもりがちです。そして、一部は異性愛者を嫌悪すらしているということです。現実世界は異性愛の人々が大多数ですから、異性愛者の家族、友人、職場、学校などの一般社会から離れて暮らすことになります。(「同性愛者のセクシュアリティ−研究の視点と展望−久留米大学心理学研究2010」)


 それで、同性愛者が社会の中で増えるということは、社会の中で他と交流する拒否する閉鎖的な社会を産み出すことになります。同性愛をやめた方が、自分も周囲に溶け込み、他の人との健全な関係を築くことができます。


                    同性愛者の嫉妬の問題


 同性愛者は、嫉妬の問題を抱えます。例えば、日本の全国紙の人生相談欄に、妻子のいる同性愛者の七十代の男性が3年前に交際した当時37歳の男性に未練があり、嫉妬心をどうにも抑えられないという相談をのせていました。妻との性生活が疎遠になり、若い男性に目がいくと述べています。


http://torotoro-diary.blogspot.jp/2013/07/blog-post_29.html


 配偶者がいながら、七十代にもなって、嫉妬の問題を抱えるというのは、決してその人の人生は幸福なものになっているとは言えません。また、同性愛であると、自分の配偶者との関係を改善する努力を払わなくなるでしょう。


 また、あるサイトには、ある女性の同性愛者の話がのっていましたが、その人は他の女性と十代のころから同性愛関係にありました。ふたりとも、男性に人気があったので、お互い嫉妬に狂い、傷つけあったり、離れたりよりを戻したりしました。ふたりとも、同じ時期に結婚して子供ができた時お互いに互いの夫に対する嫉妬心がすごかったと述べています。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12105411612


 聖書が「ねたみの前にはだれが立ち得ようか。」と述べ、人間にとってねたみが御しがたいものであると述べています。(箴言27:4)嫉妬で互いに傷つけあったり、別れを繰り返しているというのは、真の愛とも真の幸福とも言えません。また、互いの配偶者に嫉妬をするというのは、とても異常な事態ですし、それも決して当人の結婚を幸福にするものではありません。


 実際に同性愛は配偶者に対する裏切りであり、離婚の原因になります。また、その制御されないねたみは殺人事件などの犯罪を産み出すでしょう。 



                同性愛者のねたみが引き起こした殺人事件


 日本で、同性愛者の男性が、妻と交際相手の男性と3人で共同生活を送った上、別れ話のトラブルから交際相手の家族を殺害するという事件が起きました。男性は平成22年10月に山形市の民家に放火し、交際相手の男性の両親を殺害しました。


 翌年には、東京で別の元交際相手の男性の実家のマンションで男性の母親を殺害し、部屋に放火し、計3人を殺しました。東京の事件では妻が共犯として起訴され、懲役18年の実刑判決が確定しています。


 裁判で検察側は、両事件で、被告の暴力を理由に交際相手が同居を解消する、それでも実家に戻った相手を複数回にわたり被告が連れ戻す、恨みは最高潮に達し、同居再開の妨げとなる相手の親を殺害するという共通の経緯をたどったと説明しました。


 また、男性は逃げた交際相手に対して、『ゲイだと職場にばらす』といった脅しをかけていたということです。


 東京での犯行では、交際相手の実家の母親をたらいに閉じ込め、その中に火のついた練炭を入れ、その上に二時間夫婦で座り、「熱いっ」「許して」などのその女性の哀願にもかかわらず女性を一酸化炭素中毒で殺しました。


 人間らしい感情に欠けたとても残酷な犯罪です。しかしながら、交際相手の男性によると、被告は、自分自身については『完璧に近い人間。神に近い存在だ』と言っていたそうです。


 また、男性と結婚していた妻もたびたび家庭内暴力を受けたり、家庭内の器物を壊されたりしていました。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130526/trl13052618010000-n1.htm
http://news.livedoor.com/article/detail/7708813/



 聖書は、同性愛を行なうならば、精神的・感情的に堕落していくとを述べています。ローマ書によると、神は、同性愛者を、「非とされた精神状態に渡し」「不適当な事柄を行なうにまかされ」ます。そして、同性愛者は、「あらゆる不義・邪悪・・・に満たされ、ねたみ・殺人・闘争・・・・神を憎む者で,不遜,ごう慢,またうぬぼれが強く,・・・自然の情愛を持たず,憐れみのない者」であると述べています。(ローマ1:28-31)


 確かに、この事件の同性愛者の犯人は、ねたみのゆえに殺人を犯しました。また、そのように邪悪であるにもかかわらず、自分を完璧だとみなす大変ごう慢な心の状態になっています。そして、男性の母親の哀願を2時間耳にしながら殺すというその殺人の仕方は、自然の情愛と憐れみに欠けていて残酷です。


 確かに、同性愛者の精神状態は聖書が描写するような状態になっています。


 そして、神がソドムとゴモラの同性愛者を滅ぼされたのも、男性の旅行者たちを襲ってレイプをしようとしたからです。ソドムとゴモラの同性愛者たちも自分たちの欲望のままに行動する大変利己的で攻撃的な態度を表していました。




(sodom)The Sodomites are smitten with blindness, as in Genesis 19:11
ソドムの男たちはロトの家を訪れた男性客をレイプするためにそこにおしかけました



 以上のように、同性愛者は周囲の人々と健全な関係を培うのが難しくなります。おうおうにして、自分たち同性愛者の世界に閉じこもります。また、とりわけ、相手に対する激しい嫉妬という問題を抱え、ごう慢な特質を育てることになります。嫉妬、独占欲、自分中心の考え方のために、殺人などの犯罪を犯してしまう可能性もあります。


 同性愛は以上のような弊害があります。聖書が同性愛を非としているのも道理にかなっています。何よりもエホバ神はその異常性のゆえに同性愛に敵対されます。同性愛を断固として退けましょう。