クリスチャンは国家や政党を設立すべきですか

  ポーランドアイスランドアイルランドポルトガルアメリカなどキリスト教国家と言われる国は世界に数多く存在しています。他にも、多くの国にクリスチャンのグループによって設立された政党も存在しています。


 では、クリスチャンは、国家を建設したり、政党を設立したりするべきでしょうか。


まず現代のイスラエルが現代になって国家を建設しました。それは神に是認されることがどうか考えてみましょう。


 過去に神の民によって構成される国家が存在していました。昔のイスラエルは、神がイスラエル人に対してモーセの律法契約を与えることによって成立した国家でした。モーセの律法では、祭司制度が規定されていました。


 イスラエルは当初、神から選ばれた世襲制の王と祭司たちを持つ国家でした。(サムエル第二7:16)しかし、イスラエル人が神に従わなかったので、神はイスラエル人とのモーセの律法契約を廃棄されました。(ローマ10:4)そして、イスラエルの国家は、およそ1600年存続した後、西暦70年にローマ軍により滅ぼされました。


 その時、エホバの神殿が破壊されイスラエル人の家系の記録も失われたので、祭司の職を誰が受け継いだらいいのか、分からなくなりました。それで、モーセの律法を中心とした国家を再び建設することは不可能になりました。それで、現代に建設されたイスラエルは、モーセの律法と祭司職を中心とした神との契約関係にある国家ではありません。今日、神と特別な契約関係にある国家は存在していません。

 
  神は、マリアにマリアの子であるイエスダビデの王国の権威を永久に受け継ぐと予告されました。(ルカ1:31-33)イエスは、ただ一人のクリスチャンの指導者です。(マタイ23:10)


 しかし、イエスは天で王になられなくても、復活後全世界の権威を神から与えられていると言われました。(マタイ28:19,20)


 それで、イエスは、すでに全世界の権威をエホバ神から与えられてるので、イエスの王権は、特定の国家のみに及ぶものではなく、あらゆる国と民族に及ぶと言えます。ですから、この点からもクリスチャンは、特定の国家を設立することはありません。イエスの権威は特定の国家の権益だけを守るものではないからです。




The Earth in Turmoil (christ38)
キリストの権威は全世界に及ぶものなのでクリスチャンは特定の国家の権益だけを守るために国家を設立することはありません




 そして、神がイエスを通して、あらゆる国民に弟子を作るようにクリスチャンに命じられたので、一世紀のクリスチャンはあらゆる国籍の人々で構成されることになりました。(マタイ28:19)


 一世紀のクリスチャンは、神から命じられた全世界での宣教と弟子を作る業を中心に忙しく励みました。ですから、クリスチャンは、特定の民族の権益を守る自分たちの国家を建設するという企てに時間を割くことはありませんでした。


 一世紀のクリスチャンの宣教者であったパウロは、宣教に励んで各地にクリスチャンの弟子の会衆を作りました。パウロは、それらのクリスチャンに国家を建設するようにとは、命じませんでした。


 なぜなら、パウロは「患難を経て、神の王国に入らなければならない」と仲間のクリスチャンを励ましました。(使徒14:21,22)神の王国とは、多くのクリスチャンが死んで後入るものです。クリスチャンは、死後天で霊者となり王になります。ですから、彼らの生存中は、クリスチャンは王として支配することはありません。(テモテ第一2:11,12)



St. Paulbyen:El Greco(paul21)
パウロはクリスチャンは死後復活して霊者になり王となると言いました−生きている間は政治的権威を振るうことはありません



 そして、パウロは政治的権威を決して行使しませんでした。ですから、パウロは各地のクリスチャンに自らを王とする国家を設立するようにとは勧めませんでした。かえって、その土地で設立されている上位の権威、つまり王たちや政治支配者に服するようにと勧めました。(ローマ13:1,2)


 そして、パウロは「権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます。」と述べました。 (ローマ13:2)


 それで、クリスチャンの政治支配者たちに対する態度は、基本的に相対的に服するということでした。


 そして、クリスチャンの真の支配者はエホバ神だったので、エホバ神に第一に従いました。神の崇拝と律法に関しては、国家が反対しても、第一に神に従いました。(使徒5:29)


 クリスチャンは特定の国家を転覆しようとはしませんでした。また、国家の政体を変えようとはしませんでした。神の崇拝と神の律法に反しない限り、クリスチャンは政治支配者に従ったので、自分たちの国家を建設することも、自分たちの政党を設立して、国家に反抗することはありませんでした。


 しかしながら、権威に敵対するとは、政府を倒すことをもくろんで、とりわけ武力を用いて既成の政府に対抗することを意味するでしょう。しかし、今日、上位の権威に対して、自由に自分たちの意見を平和的に表明することは許されています。

 
 クリスチャンは、政治支配者たちとの問題が生じる場合、政治支配者にお願いするという行動をとりました。パウロは政治支配者たちに自分たちの立場を何度も釈明しました。(使徒24:10)それで、一世紀のクリスチャンは、自分たちが直接政治に携わることはしませんでした。
 

 ですから、一世紀のクリスチャンの残した型からすると、クリスチャンは、自分たちの国家を建設することも、自分たちの主義を擁護するために、政党を設立することもしません。


 クリスチャンは政府と意見が異なる場合があると思います。政府は自らの益を損なう方向に進んでいると思えるかもしれません。しかし、パウロなどの一世紀のクリスチャンは自分たちの立場を擁護しようとしても、特定の国家の政策を無理に変えようとはしませんでした。なぜなら、全世界は悪魔サタンの支配下にあり、今の事物の体制が続く間、世界はクリスチャンが望む世界に完全になるということは決してないからです。(コリント第二4:4)
 

 ですから、一世紀のクリスチャンが、一世紀の全世界の諸国家の政体を全部自分たちの望むように変えることは不可能です。クリスチャンは神が許された政治形態のもとで何とか生活していかなければなりません。(ローマ13:1,2)