啓示6章・第六の封印が開かれ大患難が起こる

  先回までエホバ神が持っておられた巻き物の封印をイエスが第五の封印まで開かれることによって明らかになった預言を説明しました。第五の封印が開かれると証しの業のために殺された者たちの魂がエホバ神に復しゅうを大声で叫び求めました。(啓示6:9,10)


 次に第六の封印が開かれると大きな地震が起こります。そして、太陽が黒くなり、月が血のようになります。(啓示6:12)また星が落ち天が過ぎ去ります。(啓示6:13,14)これは何を意味するのでしょうか。(啓示1:1)



 啓示の書の中で、大きな地震は大いなるバビロンの滅び、つまり大患難を意味しています。なぜなら、啓示16章の中で、「人が地上に現われて以来起きたことのないような大地震」は、「大いなるバビロン」に「神の憤りの怒りのぶどう酒の杯を・・・与える」ことを意味しているからです。(啓示16:18,19。マタイ24:21)


 そして、第六の封印が開かれること、それまで証しの業のために殺された者たちの数が、エホバが容認できないほど、多くなったことを意味しているでしょう。それで、大患難は、それまでに流された神の民の血に対する神の復しゅうの現れです。


 とりわけ、神の民の流された血の責任は、南の王に主な責任があります。(啓示17:6)ですから、大きな地震とは、神の怒りの表れとして北の王が南の王を攻撃する大患難を意味しています。(ダニエル11:40,42)





東日本大震災から半年後の野蒜海岸7 Six Months after The East Japan Earthquake in Nobiru Coast7 by Yuya Sekiguchi(greatearthquake3)
地震は北の王の攻撃による大いなるバビロンの倒壊を意味しています



その時、太陽が黒くなり、月が血のようになります。(啓示6:12)まず、太陽や月とは何を表しているのでしょうか。太陽は昼を支配する光体です。(創世記1:16)エレミヤ書では王たち、祭司たち、預言者たち、住民が、自分たちが愛し、仕え、その後に従って歩み、求め、身をかがめた太陽、月、天の全軍に例えられているようです。(エレミヤ8:1,2)


 それで、比ゆ的な太陽とは、国家の王のようにこの事物の体制で影響力の強い支配者でしょう。さらに、啓示の書の中では太陽は「照りつけ」たり、「人を火で焦が(し)」たりします。(啓示7:16;16:8)ですから、太陽は時に圧制を行う権力者になるでしょう。


 月は何を表しているのでしょうか。月は夜を支配する光体です。(創世記1:16)それで、月は太陽ほどではありませんが、昔の祭司たちや預言者たちのようにやはりこの事物の体制で影響力を持っている人々を表しているのでしょう。


 太陽が黒くなるとは、何を意味しているでしょうか。預言者イザヤは古代バビロンがメディア・ペルシャの前に倒壊しようとした時に、「太陽は・・・暗くなり、月もその光を輝かせない」と述べました。(イザヤ13:10)ミカ3章によると太陽が沈み暗くなることは「神からの答え」が得られず「幻がなくな(り)」「占いをすることはできなくなる」ことを意味しています。(ミカ3:6,7)

          
 ですから、昔、バビロンが滅びる時も、バビロンの権力者たちも、そのお抱えの占い師たちも将来の明るい見込みという神からの啓示を得ることができず、人々は絶望するしかありませんでした。大患難が起きる時も、人々は神からの導きを求めるかもしれませんが、権力者たちも偽りの預言者たちも明るい啓示を何も示すことができず人々は絶望するしかないでしょう。


 月が血のようになるとは何を意味しているでしょうか。月が血のようになるとは、紅のように赤くなることを意味しています。赤いこと、緋のようであることは罪がはなはだしいことを意味しています。(イザヤ1:18)ですから、この事物の体制で影響力のある人々が、大患難の時に、人々にはなはだしい罪を犯させるように導くことを意味しているのでしょう。




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月が赤くなることは有力者が大患難の時に武器をとって戦うように奨励することを意味しているでしょう


              
 ですから、大患難の時には、エホバを源としない啓発の源は、人々に明るい希望を差し伸べるのではなく、人々に大患難で武器をとって戦うよう人々に強い圧力をかけるでしょう。しかし、イザヤ書には、エホバに「反抗的になるなら,あなた方は剣で食い尽くされる。」 と述べられています。剣をとって戦う人は「剣によって滅びる」でしょう。(マタイ26:52。啓示13:10)


 ですから、大患難の時は南の王の領域に住む人々だけでなく、北の王と共になって武器をとって戦う人々も命を失ってしまうでしょう。いずれにしても、クリスチャンは武器をとって戦う殺人を避けるべきです。


 しかし、ヨエル2章は神の言葉を遂行する「数が多くて強大な民」が、太陽や星が輝かない時に存在することを確証しています。さらに、ヨエル書の中には、「エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる。」と述べられています。(ヨエル2:31,32。使徒2:20,21)


 ですから、大患難の時に武器をとって戦うのではなく、イエスの助言に従って山に逃げ、また神の言葉を宣べ伝える人々が大勢存在するでしょう。それで、正しくエホバを崇拝する人は、大患難が生じる時救われる道を知っています。


 さらに、啓示6章によると、大患難の時に「天の星が地に落ち(ます)」(啓示6:13)また、「天が去ってゆき(ます)。」(啓示6:14)聖書の中で比ゆ的な星とは、「多くの者を義に導いている」天的希望を与えられているクリスチャンのことです。(ダニエル12:3)


「天の星が地上に落ちる」とは、世界の政治的な大変動のために一部の油そそがれたクリスチャンがサタンの影響によって不忠実になってしまうことを意味するでしょう。(啓示12:4)



 ダニエル書によると、天的希望を持つクリスチャンの中には、神の律法に対する違反に陥り神への定期的な奉仕を中断してしまう者がいることを示しています。(ダニエル8:10-12。啓示12:3,4)さらに、啓示の書の中でも、一部の天的希望を持つクリスチャンが「野獣の像」に対する偶像崇拝に陥ることを示しているようです。(啓示13:7,12。ダニエル11:31,32。エゼキエル43:9;44:15)



 大患難の前には、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」つまり、北の王によって設立される国際的な政治組織が、全世界のクリスチャンに神への崇拝や奉仕をやめるように要求することが考えられます。 (啓示13:15−17)でも、神の是認を求めるクリスチャンは、何らかの形で神への崇拝と奉仕を続行する必要があります。


 啓示6章の天が去っていくとは何を意味しているでしょうか。ここで天は比ゆ的な意味でしょう。啓示の書の中で、「天と天に住む者」が存在すると述べています。(啓示12:12)「天に住む者」とは、「天の召しにあずかる」クリスチャン、「聖なる者たち」を意味しています。(エフェソス2:6。ヘブライ3:5。啓示13:6)


 ですから、「天が去っていく」とは、天的希望を与えられているクリスチャンが大患難の時に、地上からいなくなっていくことを意味しているのかもしれません。


 しかし、大患難の前に、天の召しにあずかるクリスチャンが、南の王によって命を奪われることは予期できるでしょう。啓示の書に、大いなるバビロン、すなわち南の王が、聖なる者たちとイエスの証人たちの血に酔うことが預言されているからです。(啓示17:6)


 また、神の王国が天で設立されることになるのは、大患難の前後と考えられるので、その時期に、天的希望を与えられているクリスチャンの多くが忠誠のうちに殉教することは考えられます。


  エホバに忠誠を全うして地上の命を終えることは、聖なる者たちにとってはイエスのように天的復活の報いを自分のものにして「征服する」すなわち神の王国に入るという勝利を意味します。(啓示2:11,21,26;3:21;17:14)




(flowingcloud)
天が過ぎ去るとは天的希望を持つ人々が忠誠のうちに命を終え神の王国が設立されることを意味するかもしれません



  聖なる者たちは大患難の前に、エホバを呼び求めて、人々に宣べ伝え、山に逃げることに 関連して中心的な役割を果たすと考えられます。


  それで、聖なる者たちは生きている間に最善を尽くして神への奉仕を続行し神への忠誠を示しましょう。