ダニエル11章―北の王と共に戦うことが正義でない理由

 ダニエル書の中には、神に忠実を保とうとしている「洞察力のある者たち」の中にも 神の律法に対する「違反」のために、背教させられてしまう神の民がいることが示されています。(ダニエル8:12)エゼキエル書でも「違反」が偶像崇拝に関連することを示唆しています。(エゼキエル37:23)

 エホバ神が「聖なる所」つまり、エホバの崇拝の拠点が攻撃されることを許されることが予告されています。このことは、聖書に忠実に従うよう努力をしている事情に通じているクリスチャンでさえ、北の王によってつまずかされ、神が神の民の敗北を許されることを示唆しています。


 理由は、エゼキエル書にも説明されており、それは、イスラエル人、すなわち神の民がエホバから離れて偶像崇拝に陥るからであることが説明されています。(エゼキエル44:10)


 では、どのようにすれば、北の王から背教させられないようにすることができるのでしょうか。その偶像崇拝はとりわけ野獣の崇拝、つまり、国家の崇拝でしょう。(啓示14:4,6)聖書は、上位の権威に対してクリスチャンが敬意を払い従うことを求めています。(ローマ13:1)しかし、政治的な国際組織であれ、南の王であれ、北の王であれ、盲従することは、それは、偶像崇拝であり、聖書の中で禁じられていることです。当然、神の律法に忠実なクリスチャンは、殺人を避けなければなりません。





聖書は北の王のためにも南の王のためにも戦うことは国家の偶像崇拝であることを示しています



啓示の書に「緋色の野獣」と「十本の角」が大娼婦を憎んで滅ぼすことが預言されています。(啓示17:16)その十本の角の中には、おそらく、北の王によって背教させられたキリスト教諸国家が含まれているのでしょう。最終的に南の王が北の王によって攻撃されることになる原因は、おそらく、南の王の罪がはなはだしいからであろうと考えられます。(啓示18:5)



 さらに、「十本の角」に関しては、「神は,ご自分の考えを遂行することを彼らの心の中に入れた」とは述べられています。(啓示17:17)そして、エホバ神が「彼女(大娼婦)を裁いた」と述べられています。(啓示18:8)ですから、「十本の角」の行なう事は、神のご意志とある程度調和しています。


 しかし、それは昔、エホバ神が背教したユダとエルサレムに裁きを執行する役割を古代バビロンに与え、ある程度古代バビロンもそれを認識してはいたのですが、やはり、バビロンが行なうことは神から非とされていました。それと同種のことではないかと考えます。


 なぜなら、聖書の神は、どんな理由があっても、クリスチャンに対して剣をとって戦うことを禁じ、殺人や流血を禁じています。(啓示9:21)剣をとる者は、神の是認を失い、また「剣によって滅びる」結果になります。(マタイ26:52)神に忠実なクリスチャンは、南の王によって命を失ったとしても、北の王と共に戦うことはありませんし、また、南の王に従って北の王に敵して戦うことはありません。



北の王と共に戦うことが神の正義であるわけではありません



 私たちは、一般的に他の大勢の人々から受け入れられたいと望んでいます。また、他の人々からほめられると、それらの人々と行動を共にしたいと感じるかもしれません。それで、南の王に対して「剣」をとって戦う人が、正義を行なう勇敢な人であるとほめられるかもしれません。


 しかし、一部の人々があるクリスチャンをほめる動機は、クリスチャンを聖書の神の律法や基準から離すことでしょう。それで、クリスチャンはたとえ自分をほめてくれる人がいたとしても、そういう人の口車にのってすぐにそれらの人々の味方になることには、気をつける必要があります。


 太平洋大戦中に、日本は米国に対する戦争モードになり、他の人々と共に戦わない人々が非国民と言われ、祖国のために戦う人々が賛美されました。例えば、日本の特攻隊は勇気のある英雄のようにみなされていました。その当時の日本は、米国と戦うことが正義であるとみなされたのです。



Ensign Kiyoshi Ogawa, who flew his aircraft into USS Bunker Hill during a kamikaze mission on 11 May 1945
日本の特攻隊は正義の英雄とみなされましたが実際には殺人者です



 戦争をすると結果はよくありません。通常、ある国家が戦争と関わるとその国家の治安は悪くなります。人殺しをすることが悪くないと考える人が増えるからです。太平洋戦争前後の日本が一番、犯罪発生率が高かったのです。さらに、多くの国民の人命の損失、大きな経済的な損失が生じるのも避けられません。



 日本も太平洋大戦中は、多くの人が命を失い、その当時の平均寿命は、五十代になっていました。多くの日本人が「剣によって滅び」たこともその原因のひとつです。また、農夫が兵士となり、飢きんによって命を失う人も多かったのです。ですから、正義の戦争と言っても、戦争にかかわる国家にとって結果が悪くなります。 


 ですから、現在のわたしの判断では、南の王にはなはだしい罪があるとは言え、北の王と共に戦うことにも絶対的な神の正義はないのではないかと考えています。


 確かに、神に忠実な民は、実際、南の王によって迫害されて仲間の神の崇拝者が命を落とす事態を悲しむでしょうし、また、神に「復しゅう」を叫び求めることになるかもしれません。(啓示19:2)しかしながら、聖書の神の律法に従う神の民は、自ら剣をとって南の王に対して復しゅうしようとすることはありません。(ローマ12:19)


 そして、剣をとって戦う人は、エホバ神の是認を得ることができません。そして、北の王は、最終的にこの事物の体制が終わる時に、神によって復活させられた天の軍勢によって滅ぼされることになっています。


 しかしながら、聖書は、「聖なる者と使徒預言者たち」のために、神は、大娼婦に対して、「司法上の処罰」を科すことになることが予告しています。(啓示18:20)ですから、北の王と南の王の間の大患難は、何らかの「司法上の処罰」、つまり、国際法が関係しているかもしれません。


 しかしながら、エホバ神は、諸国家の間の司法が関係しなくても、ご自分の司法上の決定で物事を動かされることはあるでしょう。なぜなら、古代のソドムとゴモラの滅びに関しても、「司法上の処罰」と述べられていますが、その当時、何らかの世俗の法律違反が関係しているわけではなかったからです。(ユダ7)


 しかし、み使いたちによって調査が行われて、ソドムとゴモラに確かに大きな罪があることが判明して、ソドムとゴモラは裁かれることになりました。


 ですから、神の律法に確固として従う「神を恐れる者」にとって「良い結果」になります。(伝道の書8:12)このことは、神の律法に従うように努力をする諸国家に当てはまるでしょう。神の律法に従って国家に対して偶像崇拝を捧げることは避けましょう。国家や国際組織に対して盲従することにより、殺人や流血、剣をとって戦う事を避けましょう。それは、クリスチャンにとって「背教」です。


神に罪を犯さないようにするためには、北の王と共に戦うことを避け、南の王との良い関係を育み、戦争にかかわらない立場、中立の立場が、神に罪を犯すことを避ける立場ではないかと考えます。(啓示18:9,10)そして、その立場は、できうる限り、長期間、南の王と共に経済的な繁栄を享受することのできる立場でもあります。