啓示13章・十本の角と七つの頭がある第一の野獣

「そして龍は海の砂の上に立ち止まった。また,わたしは一匹の野獣が海から上って行くのを見た。十本の角と七つの頭があり,その角の上には十の王冠があったが,その頭には冒とく的な名があった。」(啓示13:1)


 啓示13章1節には、十本の角と七つの頭がある一匹の野獣が登場します。啓示13章12節では、その野獣は、第一の野獣と述べられています。


 まず、龍とは何でしょうか。啓示12章9節には、「大いなる龍、すなわち初めからの蛇で、悪魔サタンと呼ばれ、人の住む全地を惑わしている者」と述べられていますから、龍とは悪魔サタンです。


 では、この第一の野獣とは何ですか。十本の角と七つの頭とは何を表しているでしょうか。


 まず、頭は何を意味しているでしょうか。啓示17章9,10節に「七つの頭は七つの山を表わしており,・・・そして七人の王がいる」とありますから、頭は山を表しており、山は王を表わしています。ですから、野獣の頭とは、主の日の王たち、すなわち政治指導者すべてを表わしています。


 さらに、他の聖句からも、聖書の中で頭が王たちを表している裏づけを見る事ができます。イザヤ9章15節から、頭とは老齢で重んじられている者であることが分かります。詩篇18編43節には「あなたはわたしを諸国民の頭に任命されます。わたしの知らなかった民―彼らがわたしに仕えます」とあります。ですから、頭は人々が仕える支配者です。バビロンの支配者、王ネブカドネザルは預言的な夢の中で金の頭であると述べられました。(ダニエル2:32、38)ですから、頭とは重んじられている政府の支配者を表わしていました。


 七つという数字は、啓示の書の中で、七つの会衆、七つの星、七つのみ使いなど、全体を表わすために用いられているようです。(啓示1:20;8:2)ですから、野獣の七つの頭また山は主の日の老齢で重んじられている政治支配者すべてを表わしているでしょう。


 十本の角とは何を表しているのでしょうか。「角」という象徴表現はダニエル書に出てきます。例えば、ダニエル8章の中で出てくる雄羊には二本の角がありました。二本の角のある雄羊は「メディアとペルシャの王」を表わしていました。(ダニエル8:20)「その二本の角は長かったが,一方は他方より長く,長いほうは後から伸びたものであった」と述べられています。(ダニエル8:3)より短い角はメディアで、長いほうはペルシャを表わしていました。最初はメディアとペルシャは別々の王国でしたが、最終的には合体して、ひとつの王国の中にある二大勢力となりました。ですから角とは、ひとつの王国つまり政府や、ひとつの国家の中にある支配的な政治勢力を表わすことがあるということが分かります。


 さらに、ダニエル8章20,21節では、ギリシャの王を表わす雄やぎが登場しますが、その目の間にあった角はその第一の王であると述べられています。それで、角とはひとりの王、つまりひとりの政治支配者を表わすこともあります。ですから、十本の角とは政治支配者、政府の中の支配的な政治勢力、あるいはひとつの政府のすべてを表わしています。


 ですから、七つの頭と十本の角のある野獣とは、主の日における国家や政治勢力や政治支配者を含む政治組織全体を意味しています。


 野獣の頭に冒とく的な名があったとは、何を意味するでしょうか。使徒2章24節には、「神の名はあなた方のために諸国民の間で冒とくされている」とあります。それで、聖書に不忠実なクリスチャンのゆえに他の人が神の名を冒とくするようになります。大いなるバビロンがキリスト教国家であるにもかかわらず、神の律法に反したことを行うので、野獣はキリスト教全体を悪く言うことにもなるのでしょう。


 冒とくとは神を悪く言うこと、イエス・キリストや天的希望を持つクリスチャンの言葉に言い逆らうことが含まれています。(マタイ12:31,32。使徒13:45)ですから、野獣は神やキリストや神に選ばれたクリスチャンを悪く言うのでしょう。


 また、政治組織は、歴史を通してクリスチャンを迫害することがありましたから、それゆえにも、頭に冒とく的な名があったということになるでしょう。


 冒とくとは、人間でありながら、自分を神とすることをも意味しています。(ヨハネ10:33)それで、野獣はその実体は人間であるのにもかかわらず、自らが神のような属性や特権を持っていることを主張して、神を冒とくすることもあるのでしょう。野獣は、神への崇拝や神の律法に反する事を人に要求することによって自らに対する崇拝を要求する事があります。(啓示17:12,13)


 聖書は政治組織を野獣と描写していても、神の僕に政治組織に敬意を払い、服するようにと助言しています。しかしながら、神の僕はどの政治的実体に対しても、神とみなして偶像崇拝すること、つまり野獣の崇拝をすることはしないようにすべきです。