列王第二10章・重大な違反があっても報いを与えられたエヒウ

「エホバはエヒウに言われた,『あなたはわたしの目に正しいことを行なう点で立派に行動し,[また]わたしの心にあったすべてのことにしたがってアハブの家に行なったゆえに,子らが四代まで,あなたのためにイスラエルの王座に座るであろう。』」(列王第二10:30)


エヒウ王はアハブの家に神の裁きを行なう点で、立派に行動し、神のご意志を十分に行ないました。そのため、エヒウ王の子供たちが四代まで、イスラエルの王になることになりました。ところが、エヒウ王はバアル崇拝者に対する裁きを行なう点では、徹底的に行なったのですが、ヤラベアムの罪、すなわち金の子牛崇拝から離れませんでした。それも、エホバに非とされる偶像崇拝でした。(列王第二10:29)それでも、エホバ神は、エヒウ王に報いを与えました。


私たちは神の前に立派に行なったと思える点があるとしても、私たちは不完全なので、神に従う点で、落ち度があると考えるかもしれません。それは、エヒウのように神の律法に対する重大な違反であったり、もっと軽い度合いの違反だったりするかもしれません。けれども、エホバ神は感謝の念の深い神であられるので、人々が神のご意志に調和したことを行う時に、そんな人々に何らかの報いを与えてくださることがあることをエヒウの例は示しているでしょう。とりわけ、エホバがクリスチャンでない人に報いを与えられる場合、神の律法の違反も見逃されるでしょう。


しかしながら、新約聖書の言葉は、神の律法の重大な違反は、神の王国に関連した祝福を受け損なわせることを示しています。(ガラテア5:19〜21。コリント第一6:9,10。啓示21:8)それで、今日、長期的な神の律法違反は、永遠の命の報いを得損なわせます。


しかし、エヒウ王の例は、エホバが報いを与えるにあたって、不完全さは極力見逃されることを示していると思います。それで、私たちは神の律法に対する違反というような重大な違反は正すように最善を尽くすべきです。


しかし、他の人の罪は、エホバにみならって、明らかな神の律法に対する違反以外は、辛抱して大目に見るべきことをエヒウ王の例は示しています。