列王第一13章・だまされてライオンに殺された預言者

「あなたはエホバの命令に背き,あなたの神エホバの命じられたおきてを守らず、 あなたに、『パンを食べても、水を飲んでもならない』と話されたその場所で、パンを食べ、水を飲むために戻ったので、あなたの死体はあなたの父祖たちの埋葬所には入らないであろう」」。(列王第一13:21,22)


北のイスラエル十部族の王国の王ヤラベアムは、イスラエルの民を南のユダのエルサレムに行かせないために、金の子牛崇拝を始めました。一般の民から祭司を任じ、ベテルに祭壇を設けました。(列王第一12:28,29,31)


エホバの言葉によって、ユダから来たまことの神の人は、ヤラベアム王に、彼が立てたベテルの祭壇を非とする預言を伝えました。そのまことの神の人は同じエホバの言葉により預言した場所でパンを食べてはならず、水を飲んでもならないと命じられていました。(列王第一13:9)


ところが、ひとりの年老いた預言者がその人を欺いて、「み使いがエホバの言葉によってわたしに話し、『その人を一緒にあなたの家に戻らせ、パンを食べさせ、水を飲ませなさい』と言いました。」とその預言者に述べました。(列王第一13:18)


まことの神の人は、年老いた預言者にだまされてしまい、そこで飲み食いしました。み使いがエホバの言葉を伝えたという年老いた預言者の言葉にだまされたのです。


ところが、エホバの言葉が年老いた預言者に臨んで、冒頭の聖句のようなそのまことの神の人を非とする預言を伝えました。その預言どおり、その神の人は帰り道で、ライオンに襲われて殺されました。
つまりまことの神の人は、年老いた預言者にだまされてはならなかったということになります。その偽りを見抜いて従わないようにしなければならなかったということになります。それは確かにたいへん難しいことに思えます。


しかし、その神の人は、ヤラベアム王に対するたいへん深刻なエホバの言葉を伝えていました。預言した場所で飲み食いしてはならないというエホバの言葉は、イスラエルの十部族王国の偶像礼拝者と共に飲み食いして親交を深めることによって、そのエホバの言葉の深刻さを損なってはならないという趣旨があったでしょう。


また、まことの神の人は、ヤラベアム王が始めた、エルサレムを中心としない祭司制度や金の子牛崇拝というエホバの崇拝からの背教に対するエホバの憎しみを共にしてしかるべきでした。もし、そのような背教に対する憎しみがあれば、年老いた預言者が飲食をともにするようさそっても、偽りを見抜けたかもしれません。


私たちは、あたかもエホバの言葉聖書によって裏付けられているかのような多くの相反する音信を耳にするかもしれません。しかし、ある預言の音信は、エホバの言葉に調和していません。しかし、エホバの言葉に調和しない音信にだまされたなら、やはり私たちは命を失ってしまうことを、この神の人の例は示しています。


聖書の神エホバは流血や不道徳や偶像崇拝、不公正に反対しておられます。そうした神の道徳基準に調和しない預言に私たちはだまされてはならないわけです。それで、エホバの言葉に対する愛や、エホバの崇拝からの背教などの邪悪な事柄に対する憎しみがあれば、人は正しく神の言葉に調和した音信が何であるかを悟るよう助けられます。私たちは偽りの預言に騙されないように聖書をよく研究するべきです。


また、この神の人に起こったことは、エホバの預言者はエホバの使命を果たした後、それによって利得を得てはならないという原則をも強調しているかもしれません。聖書は、「あなたがたはただで受けたのです。ただで与えなさい。」と述べています。(マタイ10:8)


列王第一13章・だまされてライオンに殺された預言者
「あなたはエホバの命令に背き,あなたの神エホバの命じられたおきてを守らず、 あなたに、『パンを食べても、水を飲んでもならない』と話されたその場所で、パンを食べ、水を飲むために戻ったので、あなたの死体はあなたの父祖たちの埋葬所には入らないであろう」」。(列王第一13:21,22)


北のイスラエル十部族の王国の王ヤラベアムは、イスラエルの民を南のユダのエルサレムに行かせないために、金の子牛崇拝を始めました。一般の民から祭司を任じ、ベテルに祭壇を設けました。(列王第一12:28,29,31)


エホバの言葉によって、ユダから来たまことの神の人は、ヤラベアム王に、彼が立てたベテルの祭壇を非とする預言を伝えました。そのまことの神の人は同じエホバの言葉により預言した場所でパンを食べてはならず、水を飲んでもならないと命じられていました。(列王第一13:9)


ところが、ひとりの年老いた預言者がその人を欺いて、「み使いがエホバの言葉によってわたしに話し、『その人を一緒にあなたの家に戻らせ、パンを食べさせ、水を飲ませなさい』と言いました。」とその預言者に述べました。(列王第一13:18)


まことの神の人は、年老いた預言者にだまされてしまい、そこで飲み食いしました。み使いがエホバの言葉を伝えたという年老いた預言者の言葉にだまされたのです。


ところが、エホバの言葉が年老いた預言者に臨んで、冒頭の聖句のようなそのまことの神の人を非とする預言を伝えました。その預言どおり、その神の人は帰り道で、ライオンに襲われて殺されました。
つまりまことの神の人は、年老いた預言者にだまされてはならなかったということになります。その偽りを見抜いて従わないようにしなければならなかったということになります。それは確かにたいへん難しいことに思えます。


しかし、その神の人は、ヤラベアム王に対するたいへん深刻なエホバの言葉を伝えていました。預言した場所で飲み食いしてはならないというエホバの言葉は、イスラエルの十部族王国の偶像礼拝者と共に飲み食いして親交を深めることによって、そのエホバの言葉の深刻さを損なってはならないという趣旨があったでしょう。


また、まことの神の人は、ヤラベアム王が始めた、エルサレムを中心としない祭司制度や金の子牛崇拝というエホバの崇拝からの背教に対するエホバの憎しみを共にしてしかるべきでした。もし、そのような背教に対する憎しみがあれば、年老いた預言者が飲食をともにするようさそっても、偽りを見抜けたかもしれません。


私たちは、あたかもエホバの言葉聖書によって裏付けられているかのような多くの相反する音信を耳にするかもしれません。しかし、ある預言の音信は、エホバの言葉に調和していません。しかし、エホバの言葉に調和しない音信にだまされたなら、やはり私たちは命を失ってしまうことを、この神の人の例は示しています。


聖書の神エホバは流血や不道徳や偶像崇拝、不公正に反対しておられます。そうした神の道徳基準に調和しない預言に私たちはだまされてはならないわけです。それで、エホバの言葉に対する愛や、エホバの崇拝からの背教などの邪悪な事柄に対する憎しみがあれば、人は正しく神の言葉に調和した音信が何であるかを悟るよう助けられます。私たちは偽りの預言に騙されないように聖書をよく研究するべきです。


また、この神の人に起こったことは、エホバの預言者はエホバの使命を果たした後、それによって利得を得てはならないという原則をも強調しているかもしれません。聖書は、「あなたがたはただで受けたのです。ただで与えなさい。」と述べています。(マタイ10:8)