ルカ17章・死体に集まる鷲とは何を表わしているか

「死体のあるところ,そこには鷲も集まっているでしょう。」(ルカ17:37)


エスはノアの日やロトの日が人の子の日と同様であると言われました。(ルカ17:26,29,30)ノアの日には、世界的な大洪水によって膨大な数の人が命を失いました。ロトの日には、ソドムとゴモラの人々がみな命を失いました。その後も、イエスは人の子の日に関連して、人々が命を失うという出来事があると予告されました。(ルカ17:32〜35)その後、上記のように言われています。


エスが言われたこの言葉は何を意味するのでしょうか。鷲についてヨブ39章にはこのように描写されています。「鷲が高く飛び上がるのは,あなたの命令によるのか。その巣を高い所に作るのは。・・・そこからそれは必ず食物をうかがい,はるか遠くまでその目は眺めている。そして,そのひなも血を吸っている。打ち殺された者のいるところ,そこにそれはいる。」


 それで、鷲ははるか遠く高い所から食物をうかがっています。またそれは打ち殺された者のいるところに集まっています。さらに、ハバクク1章8節にも鷲は「何かを食べようとして急ぐ」と述べられています。それで、鷲は食物を急いで得ようとします。


 ルカ17章で、イエスは、人の子の日の人々が命を失う事態について語っておられました。その時、イエスが鷲に関する生物学上の事実をここで言われたとは思われません。それで、イエスは、おそらく比ゆ的な鷲のことに言及されていたのでしょう。


 ですから、死体のあるところに集まる「鷲」というのは、大患難のような全地における大規模な流血の事態、多くの人の命が関係する神の裁きに関係した神の言葉の霊的食物にとりわけ目ざとい人たちのことを意味しているのかもしれません。そういう人たちは鷲のように遠く将来まで物事を見通す霊的視力を持っているでしょう。


 終わりの時の最終部分の時には鷲のように、遠く将来の重大な出来事に霊的洞察力を持つ人たちが神の僕として集められることにイエスは言及されたのかもしれません。