列王第一22章・預言者の人数は預言の正しさの保証にならない

イスラエルの王は預言者たち,約四百人を集めて,彼らに言った,『わたしはラモト・ギレアデに向かって戦いに行こうか。それとも,差し控えようか』。すると,彼らは言いだした,『上って行きなさい。そうすれば,エホバはこれを王の手に渡されるでしょう。』」(列王第一22:6)


 預言の正しさは、その預言を語る預言者の人数が多ければそれによって証明されるのでしょうか。


 上記のようにアハブの時代に、エホバの預言者四百人が、アハブにとって明るい見通しを告げる預言を語りました。アハブがラモト・ギリアデに戦いに行くなら、勝利を得ると預言しました。ところが、預言者ミカヤひとりが、アハブ王が戦いで倒れてしまうことを預言しました。


 四百人もの預言者が、アハブが戦いで勝利することを預言しました。その預言の真実はどうだったのでしょうか。


 天でのエホバ神とみ使いたちの話し合いをミカヤは幻のうちに見ました。エホバ神はアハブ王を騙して戦いに行かせて、戦いで倒れさせることを意図しておられました。それで、み使いのひとりが、申し出て、多くの預言者が偽りの預言をするように働きかけることになりました。


 結局、ミカヤの預言したとおり、アハブ王は戦いで命を落としました。(列王第一22:34,35)それで、たったひとりで異なったことを預言したミカヤの預言が正しかったことが明らかになりました。このことから、預言者の人数は、その預言が正しいかどうかを保証するものとはならないことが分かります。


 神は、今日でも、ある政治支配者が倒れてしまうように、彼が偽りの預言を信じるように取り計らわれるかもしれません。しかし、今日は聖書時代のように奇跡的な預言がエホバによって与えられることはありません。(コリント第一13:8〜10)私たちの時代でも、真の預言の解釈はその預言者の人数が多いことによっては、証明できないでしょう。


 私たちの時代には、奇跡的な預言はなく、また奇跡的な預言の解釈はできないのですから、私たちはその預言が本当に聖書に基づいているかどうかを聖書を慎重に確認する必要があります。