列王第二8章・らい病になってもエホバを賛美した従者ゲハジ

「王は[まことの]神の人の従者ゲハジに,『エリシャが行なった大いなることを皆,どうか,わたしにぜひ話してもらいたい』と言って,彼と話していた。」(列王第二8:4)


預言者エリシャは、シリア人ナアマンのらい病を治すようとりはからった時に、ナアマンのお礼を受け取ることを拒みました。ところが、エリシャの従者ゲハジはそのお礼が欲しくなり、ナアマンに偽りを語ってお礼を自分が受け取りました。(列王第二5:22,23)ゲハジは、その貪欲と欺きのためにエリシャの言葉により、らい病になりました。(列王第二5:27)


ところが、ゲハジはその貪欲と欺きについて記録されているだけではありません。その後に行なった良いことも記録されています。上記の聖句のように後になってイスラエルの王エホラムは、エリシャの奇跡について語るようにゲハジに頼みました。(列王第二8:4)


ゲハジは自分の罪を認め、神に祈っていたのかもしれません。ゲハジはその求めを拒みませんでした。ゲハジは長年、エリシャの従者としてエホバに仕えていたので、エリシャを通して行なわれたエホバの奇跡について話すことができました。


そして、ゲハジはエリシャが死人をよみがえらせたことを話しました。ちょうどその時、子供をよみがえらせてもらった女が、七年の飢きんが終わって外国の地から帰って来て、王に自分の家と畑を求めるためにやってきました。(列王第二8:5)女はいきさつを一部始終王に話して、首尾よく、家と畑も取り戻すことができました。(列王第二8:6)


確かに、ゲハジは自分の罪のためにらい病になりました。けれども、エリシャの奇跡について話してエホバを賛美し、エリシャに親切にした女が自分の家と畑を取り戻すという良い結果になるために貢献することができました。神から裁きを受けても、神を否定するのではなく、神を賛美する機会が開かれた時に、その機会を捉えて神に栄光を帰した点でゲハジは良い手本となっています。


らい病になったゲハジの証言について聖書が特記しているということは、ゲハジの証言をエホバが評価しておられることを示しています。エホバは私たちがどんな状況になっても、私たちの行動をご覧になっておられます。私たちは、たとえエホバ神から罰を受けたと感じても、エホバを賛美する機会を捕えるならば、神への賛美に貢献し、他の人に助けになることさえあるかもしれません。


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