詩編55編・憂うつを克服する

「あなたの重荷をエホバご自身にゆだねよ。そうすれば,[神]が自らあなたを支えてくださる。[神]は義なる者がよろめかされることを決してお許しにならない。」(詩編55:22)






 神への信仰を持ち、神の教えに従っている神の僕であっても、悲しんだり落ち込んだりすることがあります。過去に神の民はどのような理由で憂うつになりましたか。そして、どのようにして憂うつな気持ちを克服したでしょうか。神の言葉は憂うつな気持ちを克服するためのどんな助言を与えていますか。


 忠実なハンナのことを考えてみましょう。ハンナは『魂が苦しくなり,ひどく泣きました』。(サムエル第一 1:7,10)ハンナには、子供がいませんでした。ハンナと張り合っていた夫エルカナのもうひとりの妻ペニンナは、エホバがハンナの胎をふさがれたと言って、ハンナをひどく悩ませました。


 昔神の民にとって子供は神の祝福とみなされていました。(申命記7:13,14)それで、ペニンナは、ハンナに子どもがいないことは、神の恵みがないことを意味していると言って、ハンナを苦しめたのでしょう。ハンナはエホバに忠実だったので、子どもが生まれないことは、神の是認を得ていない証拠だと考えて苦しんだのでしょう。


 エルカナの家族は、年毎にシロにあるエホバの幕屋でエホバに犠牲をささげて崇拝する習慣がありました。ペニンナは、家族がそうするたびに、エホバがハンナの胎をふさいでおられたことを彼女に思い起こさせました。それで、年毎に繰り返し苦しめられて、ハンナは泣いて食事をしようとしませんでした。(サムエル第一1:6,7)


 ヨブも「自分の命に対して」「嫌悪を感じ」、「神との親密さ」がなくなったと感じました。(ヨブ 10:1; 29:2,4,5)ヨブは、十人の子どもを失い、すべての財産を失いました。また、頭のてっぺんから足の裏まで悪性のはれ物ができました。ヨブは、自分の苦しみは、エホバが自分の何らかの罪をとがめだてしておられ、エホバとの親密な関係がなくなった証拠だとみなして苦しみました。三人の友がヨブの災いは何らかのヨブの罪のために経験していると言ったために、ヨブはなお一層苦しみました。


 それで、神の僕の場合は、自分の不幸なあるいは意に沿わない状況は神がもたらしたもので、神の不興の表われだとみなして苦しむ場合があることが分かります。しかし、ハンナは、子供はいませんでしたが、それはエホバの是認がないことを意味してはいませんでした。また、ヨブが経験した災いも神の不興の表われではありませんでした。それらはすべて悪魔サタンが引き起こしていました。そして、ヨブの忠実はエホバを喜ばせていました。


 それで、忠実なクリスチャンは自分の生活の中で不幸な出来事が起きたり、自分の望まない状況に巻き込まれたりする時、すぐに神の不興の表われだとか、神の祝福がない証拠だと判断する必要はないということが分かります。それらの災いは、悪魔サタンがもたらしたものかもしれません。また、クリスチャンであっても、偶然に予見できない事故にあうことがあります。(伝道の書9:11)また、クリスチャンもアダムから受け継いだ罪のために、具合が悪くなって病気になることがあります。


 しかし、神は忠実な神の僕を見捨てたり、聖霊を取り去ったりはされません。また、彼らの憂うつな状況も気分も、霊的な失敗のせいでもありませんでしたし、彼らが神の是認を失った表われでもありませんでした。


 では、どのように憂うつを克服できるでしょうか。ハンナは、エホバに自分の苦悩を顧みて子供を授けてくださいと祈り求めました。また自分に男の子をお授けになるなら、その子を一生の間エホバにお捧げ致しますと祈りました。(サムエル第一1:11)


 ハンナは、エホバの祝福が注がれている証拠が切実に欲しかったのでしょう。また、神に忠実なハンナは自分のエホバに対する専心の思いをエホバに知って欲しかったのでしょう。ハンナは、エホバに祈って自分の心をエホバに注ぎだしました。冒頭の聖句にあるように重荷をエホバに委ねました。


 ハンナが、子どもがいないことで苦しんで食事をしなかった時に、ハンナの夫エルカナは、「ハンナ、なぜ泣くのか。なぜ食事をしないのか、どうしてあなたの心は痛むのか。わたしはあなたにとって十人の息子より勝っているではないか。」と語りかけました。(サムエル第一1:8)エルカナがハンナに対する自分の愛を確証したことは、ハンナの苦しみを和らげたことでしょう。


 ハンナがエホバの幕屋でエホバに祈った直後、そのことについてハンナは祭司のエリに尋ねられました。ハンナは、苦しみのうちにエホバに祈っていたことを説明しました。祭司のエリは、「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願い求めたその請願をかなえてくださるように。」とハンナに言いました。(サムエル第一1:17)


 ハンナは、自分の苦しみと誓願をエホバに言い表したことと、祭司エリの言葉が嬉しくほっとしたのでしょう。ハンナはその後、食事をして、ハンナは憂うつから開放された顔をしていました。(サムエル第一1:18)ハンナは、エリの言葉から、エホバが顧みてくださるという確信を強めることができたのでしょう。


 それで、祈りのうちに自分の苦境についてエホバに言い表し、助けを求めることは、憂うつな気持ちを克服する助けになります。また、箴言 12章25節には,「人の心の煩い事はこれをかがませ、良い言葉はこれを歓ばせる」とあります。それで、ハンナが夫の言葉や祭司のエリの言葉から助けられたように、憂うつな気持ちを克服するために、その憂うつな気持ちについて誰かに知ってもらうことは、助けになるかもしれません。






 しかし、すべての助言が助けになるわけでないということがヨブの例から分かります。遠くからヨブを慰めるためにやってきた3人のヨブの友は、ヨブが苦しんでいるのは、ヨブに罪があるからだと決め付けました。その3人の友の助言によってヨブの苦しみは増し加えられました。ヨブは彼らのことを「厄介な慰め手」だと言いました。(ヨブ16:1)実際は、ヨブの苦しみは、悪魔サタンからもたらされていました。


 しかし、若いエリフは、ヨブの義を喜んでいるといってヨブの経験した災いが何らかの隠されたヨブの罪のせいでないことを言い表しました。エリフは、その上で助言を与えたので、エリフの助言はヨブに安堵をもたらしたでしょう。(ヨブ33:32)


 それで、感情移入ができて助けになってくれる人に打ち明けるなら、その人は、憂うつを和らげる良い言葉を語ってくれるかもしれません。そうすると、他の人も同じような気持ちになったり同じような問題を抱えたりしたことを悟ることができる場合もあるかもしれません。それに、痛ましい経験を心にしまい込むのではなく言い表わすことによって、心の重荷を軽くすることができます。


 うつ病の人は,憂うつになっている問題についてエホバに祈り、配偶者や親、あるいは同情心にあふれ霊的な資格のある友人やカウンセラーに打ち明けることができます。自分としては絶望的な状況だと思えるかもしれません。しかし識別力のある霊的な助言者の助けを得るならば、その状況に対処するための実際的な知恵を得ることさえできるかもしれません。(箴言 24:6)


 ハンナもヨブも問題をエホバの前に持ち出しました。(ヨブ35:14)ハンナは男の子が与えられました。またヨブは病気も治り、以前よりも裕福になり、十人の子供がさらに与えらるとい結果になりました。それで、ふたりとも、エホバに依り頼んで、重荷をエホバに委ねたので、憂うつな気持ちの原因を解決することができました。(詩編55:22)


 私たちもエホバに忠実に従っている場合、自分の経験している災いがエホバからもたらされたと早計に考えないようにしましょう。かえって、エホバは「苦難の時に容易に見い出される助け」と聖書は述べています。(詩編46:1)祈りのうちに自分の苦境をエホバに言い表し、エホバに助けを祈り求めましょう。同情心のあふれた信頼の置ける人に自分の苦しみを打ち明けましょう。そのようにして憂うつな気持ちを克服するように努めていきましょう。


列王第二4章・神は預言者への親切に報われる