どうすれば失恋から立ち直れるだろうか

 私の結婚の相手はこの人だということがあなたには分かります。一緒にいるとお互いに楽しい気分になります。二人とも同じことに関心があって一緒に行ないます。そしてお互いに相手に引かれているのを感じます。ところが突然その関係は冷え,怒りが爆発します―あるいは涙に暮れます。

 「恋の不思議な働き」という本の中で,ミシャエル・リーボウィッツ博士は,恋の始まりを強力な麻薬による陶酔感に例えています。しかしそのような恋は,終わってしまうと,麻薬の場合のように“禁断症状”を引き起こしがちです。しかもその症状は,恋愛が単なる盲目の恋であろうと“本物”であろうと,ほとんど変わらないのです。どちらの場合も,目のくらむような陶酔感を―そしてもし関係が終われば激しい苦悶をもたらします。




 別れた後に訪れる疎外感,心の痛み,もしかしたら激しい怒りなどのために,将来に対する関心を失ってしまうかもしれません。ある若い女性は,自分が捨てられて“傷ついた”ときのことを語りました。「今は[異性に対して],『こんにちは,お元気ですか』と言うのが精一杯です。だれとも親しくならないようにしています」と,その人は言いました。相手との関係に心を深く傾けていれば,破綻したときに受ける心の傷はそれだけ深くなるものです。


確かに,好きな人と交際できる自由の代価は高いのです。拒絶される可能性は実際にあります。真実の愛が育つという保証は全くありません。ですから,だれかがまじめな目的であなたと交際を始め,後ほど結婚は賢明でないと結論したとしても,あなたは必ずしも不当な扱いを受けたわけではないのです。


問題は,非常に手際よく親切な別れ方をされても,やはり心は傷つき,疎外感を覚えるということです。でもそれは自尊心を失う理由にはなりません。その人の目に“かなわない”ということはほかの人の目にもかなわない,という意味ではないからです。


過ぎ去った恋愛の全体像を冷静な目で見てみます。恋愛に破れると,相手のいやなところが目立つかもしれません。感情的に未熟である,優柔不断である,融通がきかない,狭量である,こちらの気持ちに対する配慮がないといった点です。こうした特質は配偶者に望ましいものとはとても言えません。


ところで,もし相手が全く一方的に離れていき,あなたのほうは,結婚したらうまくいったに違いないと信じているとしたらどうでしょうか。もちろんあなたには,自分の気持ちを相手に伝える権利があります。もしかしたら何らかの誤解があっただけかもしれません。


 感情をたかぶらせてわめき散らしたところで何も成し遂げられません。それでも相手が別れると言い張るのであれば,明らかにあなたのことを思っていない人に,涙を流して愛情を請うような,屈辱的なことをする必要はありません。「捜すのに時があり,失ったものとしてあきらめるのに時がある」と,ソロモンは言いました。―伝道の書 3:6。

 結婚に対する誠実な関心など最初からなく,ただあなたを利用していた,と疑ってみる強い理由のある場合はどうでしょうか。執念深く仕返しをする必要はありません。そのようなあくどいやり方が神の目に留まらずにすむことはまずないからです。「残虐な者は自分の身をのけ者にさせている」のです。―箴言 11:17。箴言 6:12‐15と比較してください。

 時々,寂しさやロマンチックな思い出に悩まされるかもしれません。そういうときには思いきり泣くのもよいでしょう。体を使う活動や,キリスト教の宣教などを忙しく行なうのも助けになるでしょう。(箴言 18:1)いつも楽しい事柄や建設的な事柄に心を向けるようにします。(フィリピ 4:8)


 親しい友達に打ち明けるのもよいでしょう。(箴言 18:24)独立するだけの年齢に達していると自分では感じていても,両親からも大きな慰めが得られるかもしれません。(箴言 23:22)そしてだれよりもエホバに打ち明けてください。

 その時にはあなたは,自分の人格のある面を磨く必要を悟っているかもしれません。配偶者の理想像も以前に増してはっきりするでしょう。恋愛と失恋を経験したので,もしまた望ましい人が現われたなら,交際はもっと慎重にしようと思うでしょう。そういう人が現われる可能性は,予想外に大きいかもしれません。


 今回、「若い人が尋ねる」の本31章「真実の愛であるかどうかは、どうすれば分かるのだろう」の「どうすれば失恋から立ち直れるだろうか」というコラムから抜粋しました。2011年のエホバの証人の夏の地域大会で発表された「若い人が尋ねる質問 実際に役立つ答え 第1巻」にも、「どうすれば失恋から立ち直れるだろう」という章があります。関心のある方は、エホバの証人からその本を入手してください。