啓示3章・人の住む地全体に臨む試みの時から守る

「あなたがわたしの忍耐に関する言葉を守ったので,わたしもあなたを,地に住む者たちを試みるため人の住む地全体に臨もうとしている試みの時から守る。」(啓示3:10)


 イエスの七つの会衆に対する音信の中に、フィラデルフィア会衆に対する音信があります。その中でイエスフィラデルフィア会衆に、人の住む地全体に臨む試みの時から守るという約束を差し述べています。


 人の住む地全体に臨む試みの時とは、何を意味するのでしょうか。フィラデルフィア会衆とは、主の日にどんな特徴を持ち、どんな経験をするクリスチャンを意味しているのでしょうか。


 フィラデルフィア会衆はイエスから褒められています。彼らはイエスの忍耐に関する言葉を守ったと言われています。イエスの忍耐に関する言葉とはどんな言葉でしょうか。イエスはテアテラ会衆に、「あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐」と述べておられます。(啓示2:19)ですから、イエスの弟子は、愛と信仰を示すことにおいて、また奉仕において忍耐を示すことができるでしょう。


 また、イエスは弟子たちがイエスの名のゆえに「すべての人の憎しみの的となる」ことを予告され、「あなた方は自らの忍耐によって自分の魂を獲得するのです」と言われました。(ルカ21:17,19)イエスは弟子たちがご自分に従うがゆえにすべての人から憎まれることを予告され、そうした反対や迫害を忍耐することによって救いを得られると言われました。


 ですから、フィラデルフィア会衆の成員は愛や信仰を忍耐して示しており、迫害や反対も忍耐してイエスに従っていたのでしょう。(啓示2:3)フィラデルフィア会衆の場合は、エフェソス会衆のように最初の愛から離れたというようなことについて、イエスは何も助言しておられないので、互いに対する愛の点でも良い精神が見られたのでしょう。


 地に住む者たちを試みるため人の住む地全体に臨もうとしている試みの時とはどんな時のことですか。エホバ神はどんなことを試みられるでしょうか。


 申命記8章2節によると、エホバ神は神の民を「試みて,そのおきてを守るかどうか」「心のうちにあるものを知る」ようにされます。ですから、その試みの時期はエホバ神の律法を守るかどうか人々が試みられる時期でしょう。試みの時とは人の住む地全体に圧力が加わって地に住む者たちがエホバ神の律法を守るかどうかが試みられる時を意味しているでしょう。その時、み言葉から離れてしまう人も多いでしょう。(ルカ8:13)


 たとえば人の住む地全体が戦争に巻き込まれてしまうと、全世界で野獣の崇拝をさせようとする圧力が大きくなるでしょう。また、イエスの言葉に従って「剣を取る」ことを避けるかどうかも試みられるでしょう。(マタイ26:52)この試みの時とはそのような点で、大きな圧力が加えられる時を意味しているのでしょう。


 イエスはそのような試みの時から、フィラデルフィア会衆の成員を守ると言われました。イエスはどのように守られるのでしょうか。イエスユダヤ人であると言いながら実はそうではないサタンの会堂の者たちを来させてフィラデルフィア会衆の成員の足もとに敬意をささげさせると言われました。(啓示3:9)迫害者が協力者になるのであれば、フィラデルフィア会衆の成員にとって幾らかの助けにはなるでしょう。


 さらに、フィラデルフィア会衆の成員は、「少しの力」でイエスの「言葉を守って、わたし(イエス)の名に不実な者とはならなかった」ので、イエスは大きな圧力のかかる試みの時に彼らが神の律法を守ることができるよう助けてくださるのでしょう。(啓示3:8)そのようにして、神の報いを失うことのないように助けてくださるのでしょう。


 イエスは北の王が南の王を攻撃する時、すなわち大患難が生じようとする時には、山に逃げるようにと助言しておられます。(マタイ24:16,18)とりわけこのイエスの助言に従うことにより、野獣の崇拝をさせ、剣を取って戦うようにさせようとする「試み」からもある程度逃れる事ができるでしょう。イエスはこのようにしてご自分の言葉に従順に従うフィラデルフィア会衆の成員を、人の住む地全体に臨もうとしている試みの時から守られるのでしょう。








 こうして考えてみると、イエスの言われた「人の住む地全体に臨もうとする試みの時」とは、イエスが予告された未曾有の「大患難」を意味しているでしょう。(マタイ24:21)そして、フィラデルフィア会衆は、その大患難を生き残って、真の宗教を存続させる母体となるのでしょう。



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