詩編37編・どのように悪を行なう者たちは断ち滅ぼされるのか

「悪を行なう者たちは断ち滅ぼされるが, エホバを待ち望む者たちは,地を所有する者となるからである。 そして,ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる。 あなたは必ずその場所に注意を向けるが,彼はいない。しかし柔和な者たちは地を所有し, 豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう。」(詩編37:9〜11)


サタンの支配するこの世にあって、詩編37編は私たちに励みになる考えを伝えています。冒頭の聖句にあるように、邪悪な者が断ち滅ぼされ、柔和な者たちが豊かな平和を楽しめるようになるという約束を伝えているからです。



サタンの支配する世の中では、不義が成功を収めることがあり、柔和な人々が邪悪な人々に迫害されたり、邪悪な人によって命を落としたりすることがあります。それでも、聖書は、総体的に柔和な義なる人が命を保ち、豊かな平和を楽しむようになることを予告しています。



これらの約束は過去において成就してきたのでしょうか。将来も成就するのでしょうか。



この約束は、過去において確かに成就してきました。過去において選ばれた神の民はイスラエル人でした。この詩編37編はダビデによって作られた詩でした。ダビデの時代に、イスラエルの領土は、エホバ神が約束された境界いっぱいにまでに拡大されました。(サムエル第二 8:1‐15)道徳的に堕落した邪悪な慣行を行なう周囲の諸国民は、ダビデによって滅ぼされるか、征服されました。確かに、邪悪な者がいなくなり、神を崇拝するイスラエル人が、豊かな平和を楽しむことになりました。



また、一世紀においても、このエホバの約束は、果たされたと言えます。なぜならば、ユダヤ教の体制下でクリスチャンを迫害していたユダヤ人は、西暦70年にローマ人によって滅ぼされてしまったからです。西暦70年のエルサレムの滅びの目撃証人であるユダヤ人の歴史家ヨセフスによると,飢餓,病気,内部抗争,またローマ人の剣のためにエルサレムで110万もの人が死に、9万7,000余りの人が捕虜にされました。



一方、クリスチャンは、イエスの助言に従ってエルサレムから出て、山に移動していたので、エルサレムの滅びを生き残ることができました。エウセビオスは自著「教会史」の中で、クリスチャンがエルサレムユダヤの全地を去って,ギレアデの山地のペラと呼ばれていた都市へ逃れたことを述べています。



確かに、一世紀においても、神の目に邪悪なユダヤ人は滅ぼされ、神の民は、西暦70年の滅びを逃れ、豊かな平和を楽しむことになりました。



そして、終わりの時において緋色の野獣が大娼婦である大いなるバビロンを攻撃する時、神の民は、山に逃れることになります。(マタイ24:15,16)その時、おそらく第三次世界大戦が起きるのでしょう。諸国家は核兵器をも用いるのでしょう。都会などの人口が密集した所は、核兵器やミサイルの攻撃目標となることでしょう。しかし、山に逃れた神の民は、命を保つことができるでしょう。




山での平和な生活




一方、神の民を迫害する戦いあう諸国民は、自ら互いに滅ぼしあうことになります。そのようにして、詩編37編の悪を行う者は断ち滅ぼされるという預言の言葉は、今の体制が存続している間も成就することになります。



そして、ダニエル11章の預言によると、神の民は、拠点を山に移して、国際連合の時代も存続することになります。(ダニエル11:45)そのように、戦うことをしない柔和な神の民は、地上の限られた地域で豊かな平和を楽しむことになります。



さらに、最後にイエスが悔い改めない諸国民をすべて滅ぼす時が到来します。神の王国は全面的に地上を支配することになります。(啓示21:1。ペテロ第二3:13。イザヤ65:17)その時、神の民は保護されて生き残り、地上を楽園へと変化させて、地球全体で豊かな平和を楽しむことになります。



それで、エホバを待ち望んで、柔和を示すという生き方が命を生き永らえさせる生き方であることが証明されることになります。私たちは神の言葉の預言を、柔和な態度で調べてみて、その警告を受け入れましょう。そのようにして、邪悪な者の終わりを目撃して、豊かな平和を楽しむことができるようになります。



箴言12章・来るべき食糧不足に備える


マタイ24章・なぜ文字通りに山に逃げるのがふさわしいか


マタイ24章・続 飾りの地と飾りの山


気分障害に取り組む(5)−他の人はどのように助けになれるか