詩編32編・ダビデはエホバに罪を告白する

「わたしはついに自分の罪をあなたに告白し,自分のとがを覆いませんでした。 わたしは言いました,『わたしは自分の違犯をエホバに告白しよう』と。 」(詩編32:5)


ダビデは、生涯中数多くの罪を犯しました。しかし、ダビデは、誰よりもまずエホバに自分の罪を告白しました。ダビデがエホバに罪を告白したことについて述べる詩編32編から、何を学べるでしょうか。


ダビデの罪で聖書に記されている主だった罪は、バテ・シバとの姦淫と、彼女の夫を死に追いやったことだったでしょう。しかし、ダビデは、それ以外にも罪を犯したでしょう。聖書の中に記されていない罪もあったことでしょう。


ダビデは、それらの罪にどのように対処したかを、詩編32編は教えています。ダビデは、エホバ神を中心にして罪に対処しました。ダビデは、罪がまず第一に神に対する罪であることをするどく意識していました。


ダビデは、エホバ神に対して犯した罪について告白しないで黙っていると、苦しんだことを述べています。「わたしが黙っていると,わたしの骨はわたしが一日じゅううめくために疲れ果てました。 あなたのみ手が昼も夜もわたしの上に重くのしかかっていたからです。 わたしの命の潤いは,夏の乾燥した熱気にさらされたときのように変えられました。」(詩編32:3,4)


ダビデが黙っていたというのは、エホバに対して罪を犯したことを祈りのうちに認めなかったことを意味しています。ダビデは、犯した罪をエホバに告白していない時は一日中、うめいて苦しんでいました。ダビデは、黙っていると、一日中、エホバの不興を感じました。エホバの是認と祝福がないことは、ダビデにとって重圧に感じられました。それは、ダビデの生気を奪いました。


それで、ダビデは、ついに祈りのうちに自分の罪をエホバに告白しました。どんな結果になったでしょうか。ダビデは次のように述べています。「わたしはついに自分の罪をあなたに告白し,自分のとがを覆いませんでした。 わたしは言いました,『わたしは自分の違犯をエホバに告白しよう』と。すると、あなたがわたしの罪とがを赦してくださいました。 」(詩編32:5)


ダビデは、後悔してエホバに告白して罪を認めた結果、エホバが罪を許してくださったことを感じました。それは、感じただけではなく、ダビデの生活の上に再び、エホバの祝福が注がれたのでしょう。


ダビデは、「あなたはわたしのための隠れ場であり,わたしを苦難から保護してくださいます。 逃れさせる歓呼の声をもって,あなたはわたしを囲んでくださるのです。」と述べています。(詩編32:7)それで、ダビデは苦難から保護され、苦難から逃れたことによって、エホバの是認と祝福が戻ったことを感じたのでしょう。


それで、ダビデは、「自分の反抗を赦され、その罪を覆われる者は幸いだ。 エホバがとがを負わされない人、その霊に欺まんのない者は幸いだ。」と述べています。(詩編32:1,2)エホバは、私たちのエホバに対する反抗と罪を許してくださいます。それは、幸いなことです。


私たちは、残念にも罪を犯した時は、まず誰よりもエホバに祈りのうちに罪を告白して、罪の許しを願い求めましょう。そして、同じような罪を二度と繰り返さないように最善の努力を払いましょう。エホバは、イエスの贖いに基づいて寛大に私たちの罪を許してくださることでしょう。(コロサイ1:14)エホバ神は私たちに再び、是認と保護と祝福を与えてくださることでしょう。


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