ダニエル11・12章・現代の北の王と南の王に関する預言(5)


  今回ダニエル11章44節以降ダニエル12章4節までの解釈に取り組んでみたいと思います。この部分では、大患難を生き残った北の王と神の民がどうなるかが預言されています。


 ダニエル11章44節では、大患難が終わって後のことと思われますが、「彼をかき乱す知らせがあって、日の出る方から、また北から来る。そのため彼は非常な激怒を抱き、滅ぼし尽くすため、多くの者を滅びのためにささげようとして出て行く」ことが預言されています。


 それで、北の王は、多くの者を滅ぼすために出発します。しかし、その結果、北の王は「必ず自分の終わりに至り」ます。(ダニエル11:45)


 ここで、北でもなく南でもない諸国家を表す「日の出る方」と「北」についての言及はありますが、「南」についての言及はありません。ですから、この時点で「南」すなわち大いなるバビロンが滅びて大患難が過ぎ去っていると考えられます。


  また、北の王が終わりに至る時とは、この事物の体制の終わりに、キリストが立ち上がって神の支配に最後までかたくなに従おうとしない者たちを滅ぼす時以外に考えられません。


 北の王が多くの者を滅ぼすために行動する時とはいつでしょうか。エゼキエル38章によると、北の王を表す「マゴグの地のゴグ」が「イスラエルの山々」に上り、多くのものを分捕り強奪しようとします。しかし、北の王と彼のすべての隊、および彼と共にいるもろもろの民は、「イスラエルの山々で倒れる」結果になると預言されています。(エゼキエル38:21,22;39:4)


 エゼキエル38,39章のこの北の王による神の民に対する最終攻撃は、ダニエル11章44,45節の預言を補足説明しているのではないかと思います。


 エゼキエル38章4節では、エホバは、北の王のあごに鉤を掛け、北の王のすべての軍勢を連れ出すことが預言されています。エホバが北の王の攻撃を誘発します。それはダニエル11章44節の「日の出」と「北」から来る北の王を「かき乱す知らせ」を意味しているのではないかと思います。


 おそらく「日の出」と「北」の領域には、神の民が存在するでしょう。神の民の「知らせ」おそらく何らかの発表が北の王をかき乱し激怒させることになるのでしょう。


 ダニエル11章45節では、北の王は、「宮殿のような天幕を、壮大な海と聖なる飾りの山との間に設け」ます。


 「天幕」とは、人々が住む所であり、とりわけ一時的な住まいとすることが多い所です。軍隊が天幕に宿ることもあります。(詩編27:3)それで、北の王は、山に逃げている神の民を攻撃しようとして軍隊を設置するのでしょう。


 「聖なる飾りの山」という言葉は、神の民が山に逃げてそこを拠点としていることを示しているでしょう。おそらく、この時点でも、天的希望を持つ者たちが一部生き残っているのでしょう。


 海とは、その中から獣すなわち政治組織を産み出す動揺してやまない不信仰な一般の人類を意味しています。(ダニエル7:2,3。イザヤ57:20)ですから、北の王は、「海」を代表して、信仰を持つクリスチャンたちのグループに敵対するのでしょう。そして、この時点がはっきり神の民と、壮大な人類の海は分離させられることになるのでしょう。


 しかし、北の王はその「終わりに至り」ます。誰も北の王を「助ける者」はいません。(ダニエル11:45)ですから、北の王が信仰を持つ人々に総攻撃をかける時に、北の王とその軍勢は、神によって滅ぼされてしまい、誰も北の王を助けることはできないでしょう。


 ダニエル12章1節によると、「大いなる君ミカエルが立ち上がり」ます。そして、「国民が生じて以来その時まで臨んだことのない苦難の時が必ず臨み」ます。しかし、「その時、あなたの民、すなわち書に記されている者はみな逃れ出る」ことになっています。


 ミカエルとはイエス・キリストを意味します。なぜなら、聖書はミカエルが「み使いの頭」であることを示しており、キリストは「み使いの頭の声」を出されるからです。(ユダ9。テサロニケ第一4:16)


 私は、このダニエル書12章1節が、どの時を意味するかを判断しかねています。この時は、大患難を意味するのでしょうか。それとも、この事物の体制の終わり、世の終わりを意味するのでしょうか。


 現時点では、このダニエル12章1節の言葉は、大患難を含み、その時以降、北の王が神の民に対して最終的に総攻撃をかけるこの事物の体制が終わる時にまで当てはまるのではないかと考えています。


 というのは、「国民が生じて以来その時まで臨んだことのない苦難の時」という言い方は、イエスが言われた「世の初めから今に至るまで起きたことがなく、いいえ二度と起きないような大患難」という言葉を思い起こさせるからです。(マタイ24:21)


 「大いなる君ミカエルが立ち上が(る)」とは、何を意味するのでしょうか。「立ち上がる」とは、ダニエル書の中では、王が権力を握るという意味で用いられています。例えば、「地から立ち上がる四人の王」とか、「ひとりの王が立ち上がる」という言い回しがあります。ダニエル7:17;8:23)ですから、ミカエルが立ち上がるとは、キリストが天で王として即位されることを意味しているでしょう。





Jesus Returns 09 by Waiting For The Word (christcoming4)
聖書は確かにイエスが天で王権を取られる時が来ることを予告しています



 ダニエル7章によると、まず第四の野獣から出てくる小さな野獣が完全に滅ぼされて後に、「人の子」イエスキリストに「王国」が与えられます。また、その後に聖なる者たちが「王国を取得する」という順番になっています。(ダニエル7:11,13,14,22,26,27)


  ですから、ダニエル7章の預言からすると、イエスが神の王国の王になるのは、大患難の後になるのかもしれません。また、聖なる者たちが神の王国を取得するのも、大患難の後になるのかもしれません。


 「書に記されている者」とは何を意味するのでしょうか。それはダニエルの民すなわち神の民です。その書とは「命の書」です。啓示の書には、キリストはご自分の足跡に倣って征服する者の「名を命の書から決して塗り消さ」ないと述べられています。(啓示3:5)また「良いたよりのためにわたしと相並んで奮闘した・・・人たちの名は命の書の中にある」とも聖書は述べています。(フィリピ4:3)


 キリストが王になって以降、聖書は、神の民の誰も命を失うことはないと保証していません。神の民の中には、南の王によって、また北の王によって、またその他の諸国民によって命を失う者たちがいるでしょう。(マタイ10:21,22)


 しかし、聖なる者たちの多くは大患難の前に山に逃げて文字通り命を失う危険な事態から逃れることができるのでしょう。一世紀にも、多くの聖なる者たちが山に逃げて、命を生き永らえることができました。同じことが起きる可能性は高いでしょう。
 
 
 また、地的な希望を持つクリスチャンの大多数は、大患難を生き残ることが保証されています。啓示の書は、「すべての国民と部族と民と国語の中から来た、だれも数え尽くすことのできない大群衆」は、神とみ子の前に是認されて立ち「大患難から出てくる」と述べられています。(啓示7:9,10,14)



Ian Ransley Crowd @ Memorial Stadium 72,500 at Memorial stadium, Sept. 1, 2007. Cal Bears vs Tennessee Volunteers. Cal 45, Tenn 31(greatcrowd20)
聖書は数えきれない国際的な大群衆が大患難を生き残ることを預言しています



  しかし、ダニエル書は「聖なる者たち」が最終的に北の王によって滅ぼされると述べています。(ダニエル8:24)しかし、最後に北の王によって全員滅ぼされることになっても、エホバは聖なる者たちを天へ霊者として復活させて試練から「逃れ出る」ようにしてくださるでしょう。


 さらに、この事物の体制の終わりには、キリストは王権を与えられておられるので、神の民を滅ぼそうとした北の王とその軍勢を滅ぼしてしまいます。 そして、北の王によって滅ぼされた聖なる者たちは、復活させられた霊者として、キリストに率いられて北の王とその側に立つ人々を滅ぼす業を行うことになるでしょう。(啓示2:26,27;19:19,20。テサロニケ第二1:6-9)


  ですから、その時大群衆の大多数は北の王とその軍勢の滅びを目撃し、この事物の体制の終わりも生き残るでしょう。(ゼパニヤ2:3)そして、その時以降、地上に対する神の王国の完全な支配が始まります。この地上は楽園になるでしょう。



View of the Chateau at Gommecourt by National Library of Scotland (endofthe world4)
北の王は世の終わりに滅びることになっています


Garden at the Schultenhof in Mettingen, North Rhine-Westphalia, Germany J.-H. Janßen - Own work(paradise15)
この世が終わって地球はパラダイスになります


  ダニエル12章2節には、「塵の地に眠る者のうち目を覚ます者が多くいる。この者は定めなく続く命に、かの者は恥辱に、また定めなく続く憎悪に至る」ことが預言されています。これは比ゆ的な表現だと思います。ローマ書には霊的な覚醒について述べている箇所があります。(ローマ13:11)


 ダニエル書は、比喩表現も多く用いています。それで、これは、キリストが王として臨在される時期、大患難の前後の霊的に覚醒を意味していると思います。


 また、続く節が、この事物の体制が存続する間に成就するはずであることも、この聖句が、この事物の体制が存続する間に、成就することを示しているのではないかと思います。


 ダニエル12章3節には、「洞察力のある者」「多くの者を義に導いている者たちは定めのない時に至るまで、まさに永久に星のように輝く」ことが預言されています。なぜそうなるのでしょうか。「多くの者が行き巡り、真の知識が満ちあふれる」からです。(ダニエル12:4)



leather-and-stars by arrowlili(stars10)
洞察力のある者が終わりの時に行った聖書の解明は永遠に人類に益をもたらすことになります


 ですから、聖なる者たちが聖書の中を行き巡って、聖書に関する知識や理解が満ちあふれる結果、永遠の命に導かれたり、義に調和した生活を送れるように助けられる人々が多くなるのでしょう。終わりの時に解明された霊的な真理から、人類は永遠に益を受けることになります。それら聖なる者たちは、永久に星のように人々に霊的な光を差し伸べることになります。


  しかし、聖なる者たちが差し伸べる霊的啓発をかたくなに退ける人々もいるのでしょう。それらの人々は、永遠の滅びという結果になってしまいます。


 それで、今は天的な希望と地的な希望が差し伸べられている時です。また、今、聖書の解明が行われています。私は南の王はすでに実体を表していると思います。また、今、北の王はその実体を表そうとしています。今、聖書を正しく理解することは重要です。それは、私たちの将来の永遠の命を左右します。私たちは、永遠の命を与える聖書の預言の言葉に注意を払いましょう。



By Premier Hon. Alden McLaughlin, MBE, JP, MLA (bible61)
聖書の預言の解釈に注意を払いましょう―それはあなたを永遠の命に導きます



ダニエル12章5節以降は難しくて今のところ解釈ができません。例えば、「一時」「二時」「半時」がいつのことを意味しているのかが分かりません。(ダニエル12:7)聖書は、「終わりの時」まで「秘められ封印しておかれる」と述べていますから、聖書が十分に理解されるまで、時間が十分経たなければ難しいのでしょう。(ダニエル12:9)


また、後で、啓示の書や他の預言書の研究を進めてから、解釈を試みてみたいと思います。