マタイ26章・武道をクリスチャンはどうみなすべきですか

「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。」(マタイ26:52)


剣道、柔道,空手、ボクシング、レスリング、および相撲などの武道があります。これらの武道は今日スポーツとみなされています。武道をクリスチャンはどうみなすべきですか。


エスは武器を取る事のないようにとクリスチャンに助言しました。人間的な考えをすると武器をとるなら保護になると考えがちでしょう。しかし、イエスはそうする人は、「剣によって滅びる」、つまり武器によって滅びると言われました。


剣道は文字通り、剣という武器を取ることです。では、柔道と空手その他の武道の目的は何ですか。大英百科事典(1971年版)は,現代柔道の基礎となった柔術の項に,次のような説明を載せています。「武器を持たずに敵と戦い,これに損傷を与えたり,殺害したりすることを目的とした武術。」


空手は,柔道よりもっと暴力的で,危険を伴います。「日本の闘争精神」(英文)という本にこう述べられています。「空手は,柔術および柔道の両者とよく似ている。しかし,空手は,できるだけ短時間にいかなる手段に訴えてでも素手で敵を倒すことを意図した純然たる“武術”である。それは,致命的な結果を及ぼすという点で,柔術や柔道をしのぐことを我々は認めねばならない。」


ですから、柔道や空手などの目的は、武器を取らずに人を殺したり、倒すことを目的として自分の手や体を訓練することです。ですから、柔道や空手も実際に武器を取る事と同じであると言えます。


では、武道は防犯に役立つでしょうか。多くの路上強盗は銃やナイフなどで危険なまでに武装しており,緊張して,神経質になっています。何年も空手の修行を積んだある男性は,次のように語りました。「銃弾一発で,もうおしまいです。相手が遠くで銃を持っているなら,チャンスはありません。」




武装強盗


防犯関係の専門家たちは,しばしば,銃刀類にせよ,柔道や空手などの技にせよ,いわゆる武力に頼るのは最善の策ではないことを強調しています。


専門家は、こう忠告しています。「多分,身を守る最善の方法は,自分の命の代わりに持ち物を犠牲にすることでしょう。強盗や夜盗はたいてい,人を殺すことではなく,物を盗むのが目的です。」たいていの場合,一番必要とされるのは,事前に十分注意を払って危険な事態に遭遇しないようにできるだけ用心することです。


さらにクリスチャンであれば、他の人を殺したり傷つけたりすることは、隣人を自分自身のように愛するようにという聖書の原則やできる限り他の人に対して平和を求めると言う原則に反します。(マタイ22:39。ローマ12:18)


それで、武道に頼るのは、まず身を守る上での実際的な知恵に反すると言えます。結局、武道に頼って戦って、命を落としかねません。武術で戦うことにより身を守ろうとするのではなく、エホバ神のみ名を用いてエホバに助けを祈り求めたり、実際的な知恵を働かせて危険を前もって避けたりする方が、身の守りになるでしょう。(箴言18:10;27:12)


また、そうする方が、他の人を殺したり傷つけたりして、エホバの不興を買ったり、良心にとがめられることを避けることができます。それで、クリスチャンは武道に頼るのではなく、エホバ神に頼ります。



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