詩編11編・エホバは暴虐を憎まれる

「エホバは義なる者をも邪悪な者をも自ら調べ, その魂は暴虐を愛する者を必ず憎む。」(詩編11:5)


詩編11編には、エホバが暴虐を憎まれるということが記されています。エホバが暴虐を憎まれる方であることを聖書はどのように示しているでしょうか。


暴虐という語を調べてみると、それはとりわけ流血、すなわち殺人を意味しているようです。エホバが人間の暴虐を憎まれることを示す際立った証拠は、ノアの日の洪水でしょう。エホバは、ノアにこう言われました。「すべての肉なるものの終わりがわたしの前に到来した。彼らのゆえに地は暴虐で満ちているからである。」(創世記6:13)


ノアの時代は神の子たちと神の子と人間の女の合いの子であるネフィリムのために、地上には暴力と流血が大いに行なわれました。(創世記6:2,4,5)それで、ノアの日に地が暴虐で満ちたために、エホバはその原因となっている邪悪な人々を大洪水で滅ぼすことにされました。その当時の世界は、その暴力と流血のために、滅ぼされてしまいました。




エホバは暴虐を憎まれる
族長ヤコブは、息子のシメオンとレビを非難した時に、「殺りく」を「暴虐」と言い替えました。(創世記49:5,6)シメオンとレビは妹のディナが犯されたことに腹を立て、剣でシェケムとその父親、シェケムの都市のすべての男子を殺しました。(創世記34:25,26)その結果、シメオンとレビの子孫の部族は、イスラエルの領地の中でまとまった領地を得られないとエホバはヤコブを通して宣告され、その通りになりました。


裁き人の書によると、エルバアルの七十人の子らに対してなされた「暴虐」について記録されています。(裁き人9:24)エルバアルのそばめの子アビメレクは、人々を治める王となるために、エルバアルの七十人の息子を殺しました。エホバは、その報いをアビメレクと、それに関係した人々にもたらし、その殺害に関係した人々が互いに殺し合うように取り計らわれました。(裁き人9:20,24,56,57)


エレミヤの時代にエルサレムは「暴虐で満た(されました)。」その結果、エルサレムは、バビロン人によって攻囲され滅ぼされることになりました。(エレミヤ6:6,7。エゼキエル8:17)


確かに、エルサレムユダ王国は、その中の暴虐ゆえに、バビロンの王ネブカドネザルによって滅ぼされました。しかし、そのようにしたバビロン人については、エルサレムに対して行なった「暴虐」の報いを受けるようにと人々によって祈り求められました。その結果、バビロン人は、メディア人とペルシャ人により、滅ぼされることになりました。(エレミヤ51:34,35)


エドムは、「あなたの兄弟ヤコブに対する暴虐のゆえに恥辱があなたを覆う。あなたは定めのない時に至るまで切り断たれることになる。」とエホバから宣告されました。(オバデヤ10)エドム人ヤコブつまりイスラエル人に対して暴虐を働き、バビロンから滅ぼされないように逃げてきたイスラエル人の命を奪いました。(オバデヤ14,15)そのために、エドム人は国家また民族として存続できなくなりました。


こうして聖書の記録は、エホバが暴虐の行為を憎まれ、過去において個人としても、国家としても、その流血行為に対して当然の報いをもたらされたことを示しています。


マラキ書の中でエホバは、「わたしは変わっていないのである。」と述べておられます。(マラキ3:6)エホバは変わらない方です。エホバは今日においても、暴虐を憎んでおられます。


エホバは今日でも暴虐の行為に対して当然の報いをもたらされるでしょう。とりわけ将来大いなるバビロンが神の民に対して流血を伴う迫害を行なう時、エホバはその暴虐に対して憎しみを表されるでしょう。(啓示17:6)大いなるバビロンの暴虐はその国家の滅びを招くことになります。(啓示17:16)


しかし、大いなるバビロンが現在そうであるように、これからも神の民に対して保護を差し伸べるならば、大いなるバビロンの滅びは生じないでしょう。


私たちは、暴虐の報いを返される方を恐れて、暴虐の行為を慎まなければなりません。また、暴虐を娯楽にして、「暴虐を愛する者」とならないように気をつけましょう。(詩編11:5)




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