ルカ3章・なぜ神は人間を造られたのか

「アダムは神の子であった。」(ルカ3:38)


 なぜ神は人間を造られたのでしょうか。ある人は、神を信じない人が多い現状を見て、自分を信じない人間を神はなぜ造られたのだろうかと不思議に思います。また、全てを掌握されている神にとって、ご自分が崇拝されることが何の意味があるのだろうかと疑問に思う人もいます。それらのことについて考えてみましょう。


 現在の神と人との関係は、神が最初の人間を造った当初の姿とはかけ離れています。人間は、神ともっと親密な交渉をすることになっていました。神はもともと人間をご自分を崇拝し、ご自分の指導を受けるべきものとして造られました。(マタイ4:10)最初の人間アダムについてのエデンの園での記録によると、神と人間は直接に話をしていました。アダムは、直接エホバの声を聞いていました。(創世記3:9,10)神と人間の間に祭司のような仲介者は必要ではありませんでした。


 聖書は「アダムは神の子であった。」と述べています。(ルカ3:38)子であるとは、特別の意味を持ちます。子であるとは、神の家族であるということです。それは、神との親しい関係と神の親身な世話をも意味します。


 アダムが住んでいたエデンの園には、エホバは食物として良いあらゆる木を地面から生えさせていました。(創世記2:9)ですから、アダムは食物の心配をする必要はありませんでした。エホバはアダムの物質的な必要の世話をしておられました。


 そして、エホバ神は、野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物をアダムのところにひとつづつ連れてこられ、名前をつけさせていました。それらの動物の特徴や習性についてエホバとアダムの間で会話がなされたことでしょう。それで、エホバはアダムとひんぱんに会話の機会を持っておられたようです。(創世記2:19)






 そして、そのエホバとアダムの間の会話は、アダムの教育にもなったことでしょう。実際、アダムは生き物を観察して、それが雄と雌のつがいになっていて家族生活をしていることに気がつきました。そして、生き物の観察は、アダムに、自分にも伴侶と家族生活が必要であることを気づかせました。(創世記2:20)また、それによって、当然エホバ神のみ業に対する賛嘆の念とエホバに対する感謝の念をはぐくんだことでしょう。それで、エホバは動物の特徴と習性を観察させて、アダムを教育しておられたことが分かります。


 人間はもともと神の家族の一員である神の子として、神との親密で平和な関係を持ち幸福に生きるように造られていました。もし、アダムが神に忠実であれば、アダムの子孫も生まれつき神の子という立場を与えられて生まれてきたことでしょう。


 良心を持ち、神を崇拝するのは、人間だけです。動物には、神の子という立場は与えられていません。動物は神を崇拝することも、愛することもできません。そのような能力が与えられていません。それで、動物には、永遠の命は与えられず、動物は復活することもありません。


 では、神はなぜ人間を造られたのでしょうか。神が人間を造られたのは、人間の父親と母親が望んで子供を造るのと同じ動機です。親は、子どもに生きる喜びを分かちたいと思い、子供に愛を示したいと願って、愛ゆえに、子どもを作ります。神も人間がご自分を愛し崇拝しながら生きる喜びを経験して欲しいので、人間に愛を示したいと思ったがゆえに、人間を創造されました。「神は愛だからです。」と聖書は述べています。(ヨハネ第一4:8)


 エホバは人間を造られる前にご自分の天の独り子に対してこう言われました。「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。(創世記1:26)


 人間は、神の像に、神と似た様に造られました。これは人間が動物とは違って神の持たれる特質を与えられたことを意味しています。ですから、人間は、神の持たれる愛や良心、道徳的感覚、理性、思考力、美や芸術を鑑賞する能力などのすばらしい内面的特質や能力を与えられました。このことも、人間が神の子として創造されたことを示しています。


 それゆえに、人間は、他の神の地上の被造物を従わせるという特権が与えられました。これは、人間に対する神の贈り物です。このことは、人間にとって喜びや祝福を意味していました。人間は、地上にいる神の他の被造物を観察したり世話をして、学んだり楽しんだりすることができました。このことからも、エホバ神は生活から喜びを得るように人間や世界を造られたことが分かります。


 エホバは感情を持たれる神です。そして、天の父という言葉があるように、神は人間に対して父親のような感情を持っていると考えて間違いではありません。(マタイ6:9。ルカ11:13)そして、エホバはご自分が人間ひとりひとりに対して非常に深い愛を持たれるので、引き換えに人間が神に対して深い愛を表わすことを期待されます。(詩編33:18;34:15。マルコ12:30)


 人間が神に対して深い愛を持つとは、神を崇拝し、神の指導を求め、それに服することによっても表わされます。聖書は、「そのおきてを守り行なうこと,これがすなわち神への愛だからです。」と述べています。(ヨハネ第一5:3)


 そして、人間の親が子供が賢く従順である時、喜びを感じるように、神も人間がご自分に対して従順を示し賢さを示す時、喜びを感じられます。(箴言23:15,27:11)人間が神を崇拝することが神にとって無意味であるということはありません。神は人間の崇拝と従順を喜ばれます。


 しかし、最初の人間アダムは神の律法に背いて神から離れてしまいました。(創世記3:17)そのために、人間は、生まれつき自動的に神の子どもであるという立場を失ってしまいました。(ローマ8:21)最初の人間アダムが罪を犯したために、アダムの子孫は、生まれつき罪を受け継いでおり、罪を犯す傾向があるからです。そして大勢の人間が現時点では、神を無視して生活していますし、私たちは通常神の声を直接聞くことはありません。


 しかし、人間は、もともと神との親密で愛ある関係を持つものとして創造されています。それは、人間の本質に根ざしています。日本人は神を全く意識しない人も多いので、神を度外視して生活することが、正常なことだと考えるかもしれません。しかし、人間は神との親密な関係を持つのが自然で正常であり、それが欠けると人間の精神状態にどこかで無理や異常が生じると思います。日本人に自殺者が多いのは、信仰心に欠けており神との関係を持っていないことにも原因があるでしょう。


 アダムとアダムの子孫は、神から離れてしまったので、エホバは、神の王国という政府を取り決めて人類をご自分との正しい関係に戻るように計画されています。(マタイ6:10)神の王国は、イエスの贖いに基づいて機能します。


 私たちは将来全人類が神との正しい関係に戻る時を楽しみにすることができます。けれども、現在でも神との親密な関係を楽しむことができます。私たちは聖書を読んで、天の父であるエホバ神のご意志や目的を知ることができます。また、イエス・キリストを通して神に祈り、自分の願いや感謝や賛美を神に知っていただくことができます。



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