サムエル第二7章・裏づけられたダビデの実在性

「あなたのみ名が定めのない時までも大いなるものとなり,『万軍のエホバはイスラエルの神』と言われ,この僕ダビデの家があなたの前に堅く立てられますように。」(サムエル第二7:26)


 聖書を読む人であれば,イスラエルの王となった勇敢な年若い羊飼いダビデのことはよく知っています。聖書の中にその名は1,138回,おもにダビデの王朝を指す「ダビデの家」という表現は25回出てきます。(サムエル第一 20:16)ところが最近まで,ダビデが実在した明白な証拠は,聖書以外には全くありませんでした。ダビデは単なる架空の人物だったのでしょうか。考古学は何を明らかにしていますか。


 アブラアム・ビラン教授の率いる考古学者のチームが1993年にダビデに関して驚くべき発見をし,その報告が「イスラエル踏査ジャーナル」に掲載されました。イスラエルの北部ガリラヤに位置するテル・ダンと呼ばれる古代の塚の遺跡で,黒い玄武岩の石が見つかりました。このテル・ダンの碑文には「ダビデの家」および「イスラエルの王」という文字が刻まれていました。


 その碑文は、綿密な調査に基づいて、西暦前9世紀のものとされています。その碑文は,学者たちによれば,「イスラエルの王」と「ダビデの家」の王の双方の敵であるアラム人がダンに立てた戦勝記念碑の一部であると考えられています。アラム人は嵐の神ハダドを崇拝しており,東方に住んでいました。


 ビラン教授とその仲間であるエルサレムヘブライ大学のヨセフ・ナベ教授の報告に基づき,「聖書考古学レビュー」誌の一記事は,こう述べました。「聖書以外の古代の碑文の中でダビデという名が発見されたのは,これが最初である」。


 『イスラエルの王』という語句は,聖書の中に,とりわけ列王記にしばしば出て来る用語です。この発見は,聖書以外のセム語による手書き文字の碑文の中でイスラエルに言及している最古の例かもしれないと言われています。この碑文は,聖書を軽視する一部の学者の主張とは裏腹に,イスラエルが当時,重要な王国であったことを証明しています。


 この碑文に関しては,ほかにも注目すべきことがあります。「ダビデの家」という語句は一つの語として記されています。言語の専門家であるアンソン・レイニー教授は次のように説明しています。「単語区分記号はしばしば省略される……。その組み合わせが固有名詞として定着している場合は特にそうである。『ダビデの家』という語句は確かに,西暦前9世紀半ばのそうした政治的また地理的固有名詞であった」。


 「ダビデの家」という言い方は、西暦前9世紀に、固有名詞として定着しており、諸国家に広く知られていた語であったと考えられます。ですから,ダビデ王とその王朝は,古代世界に広く知られていたものと思われます。


 ところが、テル・ダンの石碑が発見された後,パリのルーブル美術館に展示されているメシャ石碑(別名,モアブ碑石)の専門家であるアンドレルメール教授も,その碑文には「ダビデの家」に言及している箇所があることを報告しました。


 メシャ石碑の碑文の中の部分的に損なわれているある行が新たに復元されたことに関して,ルメール教授はこう書いています。「わたしはテル・ダンの石碑の断片が発見される2年ほど前に,メシャ石碑には『ダビデの家』に言及している箇所が含まれているという結論に達した。……『ダビデの家』に言及しているその箇所がこれまでに一度も注目されなかったのは,多分,メシャ石碑の訳文の初版が正式に出されたことがなかったためであろう。それこそ,メシャ石碑が発見されてから125年たった後の今,わたしが作成しているものなのである」。


 1868年に発見されたメシャ石碑とテル・ダンの石碑の間には多くの共通点があります。両方とも西暦前9世紀のもので,同質の石でできており,大きさも大体同じで,ほぼ同一のセム語の手書き文字が刻まれています。テル・ダンの石碑とメシャ石碑の両方がダビデの実在性を裏づけています。


 み使いもイエスご自身も,またイエスの弟子たちや一般の人々も,ダビデの史実性を証ししています。(マタイ 1:1; 12:3; 21:9。ルカ 1:32。使徒 2:29)考古学上の発見は,ダビデとその王朝,つまり「ダビデの家」の存在は事実であったことを裏づけています。私たちは、ダビデに関する聖書の記述を読む時、ダビデが実在の人物であったことを念頭に置いて読むことができます。


詩編142編・エホバは仲間を求めるダビデの祈りを聞かれる

詩編103編・神はわたしたちの違反を遠くに離してくださる

詩編86編・エホバはどのような者の祈りに答えられるか

詩編32編・ダビデはエホバに罪を告白する