エレミヤ26章・エレミヤを守ったシャファンの子アヒカム

「その上、シャファンの子アヒカムの手がエレミヤと共にあった。彼を民の手に渡して死に至らせることのないためであった。」(エレミヤ26:24)


シャファンの子アヒカムは、エホバの預言者エレミヤを擁護することにより、真の崇拝の側に立ちました。エレミヤは、エホバの真の預言者でしたが、エレミヤは何度も命を脅かされました。アヒカムは、その時、エレミヤを守る友のひとりになりました。



Anathoth, modern Anata, was Jeremiah's birthplace. The possible ruins of ancient Anathoth may be here at Ras el-Harrubeh in Israel.
エレミヤの誕生地アナトテ。エレミヤは実在する場所と結び付けられている実在の人物
彼はエホバの真の預言者だったが人気がなかった


エレミヤは、人々が偶像崇拝をしていることや、流血をしていることを非難しました。(エレミヤ3:8,9;19:3,4)そして、ユダとエルサレムがエホバから災いを受け、バビロンによって滅ぼされ、エルサレムが荒廃することになることを伝えました。(エレミヤ1:15,16;26:6;32:28,29)エレミヤが伝えた音信は、人々を怒らせ、エレミヤは、王や君たちによって命を脅かされました。(エレミヤ26:11)


シャファンの子アヒカムが、エレミヤの側に立ちエレミヤが殺されないように彼を守ったのは悪政で名高いエホヤキム王の治世中だったようです。(エレミヤ26:1,2,24。列王第二23:36,37)シャファンの子アヒカムはどんな人物だったのでしょうか。彼の人生はどんな結果になりましたか。


アヒカムの父シャファンは、ヨシヤ王に書記官として仕えていました。(列王第二22:3)ヨシヤ王は、その治世の初期にユダから偶像崇拝を取り除く活動を行ないましたが、シャファンは、その活動に協力していたと思われます。(歴代第二34:3-5)聖書は、ヨシヤがシャファンを大祭司に遣わして神殿の修理をさせたことを記しています。そして、その折に大祭司は、神殿で発見された聖書の原本と思われる「律法の書」をシャファンに渡しました。シャファンは、自分でその律法の書を読み、またそれをヨシヤの前で朗読しました。(列王第二22:3,8,10)このことから分かるのは、アヒカムの父シャファンが神の言葉を恐れる人であり、ヨシヤと協力して真の崇拝を擁護していたということです。


当然アヒカムも父親の影響を受けていたでしょう。ヨシヤは、シャファンの子アヒカムとその父シャファンと他の人たちを、女預言者フルダのもとに遣わして、発見された律法の書に書かれていたことに関するエホバのご意志について尋ねさせました。アヒカムと他の人々は、ユダの偶像崇拝ゆえにエホバはユダに災いをもたらすことになるが、ヨシア王自身は安らかに死ぬことになるというエホバの言葉を王に伝えました。(エレミヤ22:14,16,20)ですから、アヒカムは、エホバが偶像崇拝に反対しておられて偶像崇拝を行なうならば災いがもたらされるという聖書の言葉を知っていました。アヒカムも父親シャファンと同じくエホバの言葉を恐れる人でした。それゆえに、アヒカムは、エレミヤの預言が聖書と調和していることが分かっていました。


善い王ヨシヤが死んで、その後、エホアハズが王になりましたが、その後、エホヤキムがエジプトにより、ユダの王につけられました。エホヤキムは真の崇拝に反対しました。エホヤキムは、エレミヤの預言と調和した預言を語ったウリヤを殺しました。(エレミヤ26:20,23)エレミヤの命も危険にさらされていました。


しかし、アヒカムは、聖書の原本に記されていることを知っており、エレミヤの預言が聖書の言葉と調和していることを知っていました。アヒカムは、王の近くで仕えていたので、王宮である程度力を持っていました。それゆえにアヒカムは、自分の有利な立場を利用して、エレミヤを守りました。


では、アヒカムのその後の人生はどんなものになったのでしょうか。聖書はエホヤキムが死んでその子のエホヤキン(エコニヤ)が王になり、エホヤキンは、ユダの君たちと共に、バビロンに流刑にされたことを示しています。(エレミヤ24:1)聖書はそのことについて明記していませんが、アヒカムは、この時、エホヤキンと共にバビロンに流刑にされた可能性もあります。なぜなら、エレミヤがエコニヤと共にバビロンに行った流刑囚に手紙を送った時、その手紙をシャファンの子アヒカムではなく、シャファンの子エラサに託しているからです。(エレミヤ29:1-3)



そして、もしアヒカムがバビロンに流刑にされていたのだったら、エレミヤがバビロンの流刑囚に送った手紙によると、彼はエホバから恵みを得ており、バビロンである程度自由で恵まれた生活を送ることができました。(エレミヤ24:5-7;29:4-6,11)


それから約20年後、バビロニア人が、エルサレムを滅ぼし、多くの民を流刑に処した後、アヒカムは、バビロンによってユダヤ人の総督に任じられたゲダリヤの父親の名前として登場します。(エレミヤ40:5-7)アヒカムではなく、その子のゲダリヤが責任者として任じられました。ですから、アヒカムは、その時には、亡くなっていたのか、バビロンに流刑にされていてユダにいなかったのかもしれません。もし、バビロンに流刑にされていたとしたら、バビロンの王によってユダヤ人の総督に任命された者の父親なのですから、アヒカムはバビロニア人から信頼を得ており、バビロニア人から手荒な扱いも受けなかったことでしょう。


ですから、シャファンの子アヒカムは、神の言葉に恐れを示し、エホバの真の預言者エレミヤを守りました。その結果、存在する情報によるとアヒカムは真の預言を擁護する人としてバビロニア人からも敬意を受けていたと考えられます。ですから、アヒカムは、真の崇拝を擁護したことによって激動する難しい時代に、エホバ神の是認と保護を与えられたようです。


私たちもエホバの言葉に敬意を示し、その言葉が一般の人々から人気がないとしても、エホバの言葉を擁護しましょう。エホバは、おそらく私たちのエホバの言葉への恐れに報いてくださるでしょう。(詩編5:12;91:9,10)聖書は、エホバの預言の言葉に恐れを抱く数え切れない大群衆が大患難を生き残るという報いを得ることを約束しています。(啓示7:9,14)


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