エゼキエル16章−諸国家の攻撃を招いたイスラエル国家の売春・軍事同盟


 エゼキエル16章には、イスラエルを女性になぞらえて、赤ん坊から女性に成長して神と結婚して、それから売春婦になったというたとえ話が書かれています。これは、イスラエルという国家が神から売春婦にみなされたことを示しています。国家の売春とは、どんな行動を意味するのでしょうか。それは、どんな結果を招きますか。


 神は、昔、イスラエル人がエジプトで増えるようにされました。そして、イスラエル人をエジプトから救い出し、モーセを通して律法を与えて、イスラエル国民と契約関係に入りました。それは、神とイスラエルがいわば結婚関係に入ったことを意味していました。(エゼキエル16:8)



イスラエル国民が神と契約を結んだことは神と結婚関係に入ったようなものでした


 エホバ神がイスラエルに与えた十戒の二番目のおきては偶像を崇拝することを禁じていました。(出エジプト20:4,5)しかし、そのたとえ話の女は、神から与えられた美しさに依り頼んで売春婦になりました。(エゼキエル16:15)まず、彼女は高き所を造り、売春を行ないました。(エゼキエル16:16)また、男性の像を作り、それと売春を行ないました。(エゼキエル16:17)それは、高き所、偽りの宗教の聖所で偶像を作って崇拝を行なったことを意味します。



Evelyn De Morgan
像を作りそれを崇拝し頼ることは神の目に売春でした



 そして、彼女はその偶像に自分の息子や娘を捧げることをしました。(エゼキエル16:20,21)実際、アハズを初めとしてユダの王たちは、ヒンノムの谷でモレク神に子どもを火で焼いて捧げることをしました。(エレミヤ32:35)



さらに、彼女は、「肉の大きなあなたの隣り人、エジプトの子らと売春を」行ないエホバを怒らせたと述べられています。(エゼキエル16:26)それは、ユダが軍事的にエジプトに頼ったことを意味しています。ユダの王は他国の脅威から逃れるためにエジプトに援助を求めたと述べられています。(イザヤ31:1)そのようにすることは、神の目に売春をすることでした。



Egyptian pharaoh Ramesses II
ユダはバビロンの脅威から逃れるために軍事強国のエジプトに頼りました



Brian
国家が神ではなく軍事強国に頼ったことは神の目に売春でした



 ところがユダは「アッシリアの子らと売春を行ない」ました。(エゼキエル16:28)ユダは、アッシリアに軍事的な支援を求めました。ユダの王アハズは、シリアと北のイスラエルの脅威から逃れるために、アッシリアの王ティグラト・ピレセル(3世)にわいろを贈りました。(列王第二16:7,8。歴代第二28:16)それは神の目に売春でした。そして、それでも、彼女は「やはり満足」しませんでした。


 そして、ユダは今度は、「カナンの地、カルデア人に向かって自分の売春をあふれさせていった。」と述べられています。(エゼキエル16:29)ユダのヒゼキヤ王は、アッシリアの脅威にさらされていたので、おそらくバビロンに頼る気持ちがあったのでしょう。全領土にある貴重なものをバビロンの王の使者に見せました。(列王第二20:12,13)


 それで、彼女は最初はエジプト、そして、アッシリア、そしてバビロンという軍事強国にも頼りました。それは神の目には、売春をすることでした。


 それで、エホバはユダに関して、「横柄な売春婦の業を行なう」ので、「あなたに対する激怒に満たされている」と言われました。(エゼキエル16:30,31)


しかし、もし、いったん、他の軍事強国と軍事同盟を結んでしまって、神の不興を買うことをしてしまったら、どうしたらいいでしょうか。軍事強国との軍事同盟をふり捨てるべきでしょうか。それとも、その軍事同盟を継続するべきでしょうか。これは大変むずかしい問題です。


 エゼキエル16章では、エホバ神は売春婦になったイスラエルを裁かれました。「いまわたしは、あなたを熱愛し、またあなたが喜ばせた者たちすべて、そしてあなたが愛した者たちすべてを、あなたが憎んだ者たちすべてと共に集める。わたしは彼らを集めて周囲からあなたを攻めさせ(る)。」と述べられています。(エゼキエル16:37)



ですから、エホバはユダに不興を覚えられて、ユダの売春相手の諸国家、ユダと非常に良い関係にあった諸国家やまた、ユダが憎んでいた諸国家が共にユダを攻撃するようにされました。それで、ユダを諸国家が攻撃するのは決して自然の成り行きではありませんでした。それは、ユダの行った売春に対するエホバの憤りの表明でした。





エルサレムがバビロンの軍事攻撃を受けたのはエホバのユダの売春に対する憤りの表明でした



 ユダは、他の軍事強国に頼ることは、自分の身の安全に貢献すると考えたでしょう。しかし、それは、決してユダの安全に貢献しませんでした。それどころか、ユダが諸国家との同盟関係を結んだことはただ諸国家の攻撃を受けるという結果になりました。


 そうしたエホバの不興をどのように避けられるのでしょうか。


 ユダの偶像崇拝と売春のゆえにエホバはユダを低めて、ユダの王がバビロンに決められるようにされました。そして、その時、エホバはユダの王にバビロンに服するように勧められました。そして、バビロンとの良い関係を保っていれば、繁栄すること、バビロンとの関係をふり捨てて、エジプトという軍事強国に頼ることはユダの益にはならないことを示す預言的なたとえ話をされました。(エゼキエル17:8-15)


 私は、諸国家が南の王と軍事同盟を結んでしまった時は、啓示の書を参考にして対処できると思います。そこには、大患難を生き残る地の王たちのことが書かれています。大患難を生き残る地の王たちは、大いなるバビロンと少なくとも過去に淫行の関係がありました。(啓示18:9)もしかしたら、その時点でも大いなるバビロン、つまり南の王と淫行、つまり軍事同盟の関係があるのかもしれません。


 しかし、それらの地の王たちは、大いなるバビロンの滅びを嘆いていますが、大いなるバビロンと共に北の王と戦っていません。(啓示18:10)ですから、南の王と淫行、つまり軍事同盟があるかどうかが大切ではなく、南の王と良い関係を築くと共に、南の王と軍事行動を共にしないことが諸国家にとって最善の選択だと思います。


 もし、北の王と同盟を結んで南の王と戦うならば、南の王と戦う際、非常に多くの人的、物質的損害が生じるでしょう。確かに、北の王は一度目の南の王との戦争では、勝利を収めて「大量の貨財」を取得するようです。(ダニエル11:28)しかしながら、北の王と共に戦う時に、その損害も大きなものでしょう。


また、北の王は、最終的には、南の王に代わって全世界に支配権を行使するようになります。そして、全世界の富を支配するようになることは預言されています。(ダニエル11:43)しかしながら、南の王が全世界に覇権を振るう時は非常に長い期間に及び、北の王が覇権を振るう時は短いでしょう。ダニエルの預言は南の王を表す小さな角が滅ぼされた後、残された獣は「一時また一時節のあいだ命を延ばすことが許され」るだけであることを示しているからです。(ダニエル7:12)


 さらに、南の王との平和な良い関係を損なう時、南の王から多くの反撃を招く可能性もあります。


 そして、北の王はこの事物の体制の終わりに、おそらく天変地異という形で神によって滅ぼされます。(エゼキエル38:21,22)


 そして、北の王は、神の民に対して敵意を何度も表します。(ダニエル8:9)大患難の時でさえ、山に逃れていない「飾りの地」つまり、クリスチャンの拠点を攻撃するようです。(ダニエル11:41)そして、「聖なる者たち」つまり天的希望を持つ神の民を最終的に滅ぼすのも北の王です。(ダニエル8:24)ですから、北の王に絶対的な服従を示すと、神との関係を損なうことになります。 


 このことを考えると、諸国家にとってどうすることが最善でしょうか。南の王との淫行をふり捨てるかどうかは、その国それぞれの選択です。ある国家は淫行が神の目に悪いことを考え、軍事同盟を解消するかもしれません。南の王との軍事同盟があるなら、どうしても南の王と軍事行動を共にせざるを得ないと考えるならば、南の王との軍事同盟を解消することを選択する国家も存在するでしょう。


 しかし、他の国家は、南の王と、同盟関係を結びながらも、南の王と軍事行動を共にしないという選択をするかもしれません。しかし、軍事同盟を破棄するかどうかにかかわらず、諸国家にとって最善の道は、南の王と良い関係を保ちつつも、南の王と軍事行動を共にすることを避けるということだと思います。また、当然、北の王と軍事行動を共にしないことです。


 また、エゼキエル16章で、ユダは「姦婦と血を流す女たちとの裁きをもって」裁かれました。(エゼキエル16:38)ユダは、「姦婦」とみなされただけでなく、「血を流す女」とみなされました。結局、他の軍事強国との「売春」つまり、軍事同盟のゆえに、「血を流す」ならば、当然エホバ神に裁かれるでしょう。



adulteress by cdrummbks
血を流す姦婦つまり軍事同盟を結んで流血を犯す国家はエホバ神に裁かれてしまいます




 売春は、神の目に悪いことなので、他の諸国家との軍事同盟は少ない方が当然いいことです。多ければ多いほど、エホバ神の不興を買うでしょう。また、それは軍事同盟を結んでいる他の諸国家の憤りを招く可能性も高いでしょう。


 それで、諸国家に南の王と良い関係を保ち、相互に貿易をしながらも、南の王と共に軍事行動をとることを避けることをお勧めします。また、北の王に追随して、完全に服従することも、エホバ神との是認された関係を築くことにはつながりません。また、多くの諸国家と軍事同盟を結ぶことは、神の目にとって売春であり、南の王も怒らせることになり、神の不興も招きます。


 英国は最近の国民投票EUからの離脱を望む人が過半数いました。EUから離れると、軍事行動も独自の行動がしやすくなるかもしれません。私は英国がアメリカと緊密な良い関係を保ち、経済的な結びつきは強めるとしても、NATO軍と共に軍事活動に参加するのは避けて神の目に売春を行うことは避けるようにお勧めします。




PRODave Kellam Follow Flagging Support
もし英国が米国との軍事行動をやめる方向に行くならEU離脱は英国の益になると考えられます

エレミヤ5章・ユダの売春のためにエホバはユダに復しゅうされる


  エレミヤ5章の中にもユダがエホバを捨てて異国の神に仕えた事や、ユダの人々が姦淫や売春を行ない続けたことが糾弾されています。(エレミヤ5:7)そのために、エホバはユダがバビロンに攻撃されることを許されました。ユダで行われていた売春は、今日の私たちにどんなことを教えるでしょうか。




 エホバはそれら姦淫を行なう人々を「強い睾丸を持つ盛りのついた馬」になぞえられました。(エレミヤ5:8)馬は、「友の妻に向かっていななく」ようです。(エレミヤ5:8)その時にいななくかどうかをネットで確認することはできませんでしたが、馬はフレーメン反応といって発情している牝馬のにおいをかぐと、独特の表情を見せます。ユダの不道徳な男も、他の人の妻に対して性的な欲望を言い表したのでしょう。



Stallion exhibiting the flehmen response…

Waugsberg - own photograph

エホバは馬がいななくようにユダの男が友の妻にいなないたと描写されました



 馬の生態について詳述したサイトでは、オスが発情中の牝をさそっているときには「グルグル」という低い声が発せられるという記述もあります。


  さらに、ユダの人々が、「売春婦の家に群れをなして行く」と言われています。(エレミヤ5:7)ユダには、たくさんの売春婦がいて盛況だったようです。



 

Joachim Beuckelaer, Brothel, 1562
エホバ神は、売春をすることも売春婦を買うことも非としています。





 モーセの律法では、男性同性愛は、死刑に規定され、禁じられていました。(レビ20:13)しかし、昔のユダでは、男性同性愛による買売春が行われており、「神殿男娼」と呼ばれていました。(列王第一14:24)



 申命記では、息子たちに「神殿男娼」になったり、「犬の代価」をエホバの家に携えて来てはならないと命じられています。(申命記23:17,18)それで、聖書は神殿で行われた男性同性愛の男娼を「犬」と呼んでいて、その報酬を「犬の代価」と呼んでいます。





Wolves mating, Tama zoo…Korean_wolves_mating_2.jpg: Temaki derivative work: Mariomassone (talk) 22:07, 24 December 2011 (UTC) -Korean_wolves_mating_2.jpg …Korean wolves mating at the Tama Zoo

聖書は男性同性愛者を犬と呼んでいます(画像はイヌ科のオオカミ)







401(K) 2012 Follow Credit Card
男性同性愛者の代金は犬の代価と言われています―同性愛をして犬の代価を受け取るべきではありません゜




 ネットには、犬は子犬の時からマウンティングを異性、同性にかからわず行うと述べられていました。また、犬は異性、同性にかかわらず、強い恋愛感情を抱くということを述べる人もいます。それで、エホバ神は、そうした犬の特性をよくご存知で、犬を同性愛の象徴として用いられたのでしょう。





A female Labrador dog mounting another. Simon Speed - Own work
犬は異性・同性かかわりなくマウンティングを行う特性があります―そのために犬は同性愛の象徴として選ばれたのでしょう





  昔のエホバの神殿の中で、男娼による賃金のやり取りが行われていたということは、ユダの背教した王たちの公認のもとで、エホバへの崇拝に関連して、男性同性愛の売春夫が置かれていて、商売が行われていたということを示しています。しかし、アサ、エホシャファト、ヨシヤなどのユダの忠実な王は神殿男娼を除き去るよう努力を払いました。(列王第一15:11,12;22:45,46。列王第二23:7)



 昔、日本には江戸時代に東京の日本橋に幕府公認の「吉原」という遊郭がありました。後になって台東区の浅草の近くの山谷にその遊郭が移りました。吉原の女郎買いに夢中になる人を「吉原狂い」と言いました。今でも、宝くじに当たった人などが、巨額のお金を売春婦のために浪費してしまう場合があります。






Prostitutes on display in Yoshiwara during the Edo Period, Japan
江戸時代に吉原に公娼制度がありました




 また、日本では、戦後公娼制度は廃止されましたが、従来の売春宿を特殊飲食店街と呼んでそこでの買売春は黙認されました。そこを警察は、地図に赤線で囲んで印をつけたので、そこは「赤線地帯」と呼ばれました。また、裏口で買売春をする所が青線で囲まれたので、「青線地帯」と呼ばれました。


  1957年に売春防止法が施行された時に、赤線は廃止され、ソープランドとして残りました。その時、警察庁調べでは売春婦が12万人いたということです。





Hykw-a4 ソープランドの個室
赤線は廃止されましたがソープランドで売春が続けられました




 日本では、女子を対象にした売春は禁じられていますが、男性同性愛の買売春のビジネスをすることは法律で禁じられておらず罰則がありません。





Celebrating Gay Love and Marriage from Gayquation
同性愛が違法でなくても聖書の神エホバは同性愛を禁じておられます




 しかし、人間の法律で禁じられていなくても、聖書は同性愛を禁じています。(コリント第一6:9,10)しかし、日本では、相手が望まないのに、同性愛を強要する人には、罰則があります。強制わいせつ罪は6カ月以上10年以下の懲役となっています。また、ストーカー規制法は同性間にも、同性間でも適用されます。



imprisonment
日本では同性愛を強要する人は六か月以上10年以下の懲役を科されるかもしれません




 中国では、新華社の発表によると約200万人が売春に従事しています。中国では、売春の組織的な斡旋は死刑が適用されることもあります。2007年に韓国で27万人が売春に従事していると言われました。また、韓国政府の関係者によると、韓国人の売春婦が日本国内に約5万人いるとされます。


 淫行や売春は聖書で禁じられています。(エゼキエル16:15,16。エレミヤ32:)例え、政府が認めてたとしても、周囲で一般的になったとしても、買売春を避けて、エホバ神に受け入れていただけるようにしましょう。




 エホバは「あなた方に預言者であるわたしのすべての僕を遣わしつづけた。毎日早く起きては[彼らを]遣わした」と言われました。(エレミヤ7:25)しかし、彼らは、エホバが懲らしめを与えても、立ち返ろうとはしませんでした。(エレミヤ5:3)




  人々は、「悪いことであふれ」ました。(エレミヤ5:28)それで、エホバはことのために「言い開きを求め」「このような国民に復しゅうをすべきではないか」と言われました。(エレミヤ5:29)




 預言者は、ユダの人々がエホバの律法に違反したので、神が「災い」をもたらすことを告げました。(エレミヤ4:6)神は、「一つの国民」をユダの人々のところに来させ、彼らが、ユダの人々の息子と娘たちを食い尽くし、ユダの収穫と、パンと、羊と牛の群れ、ぶどうの木といちじくの木を食い尽くすことを警告されました。そして、ユダの人々が依り頼んでいる「防備の施されている諸都市を剣で打ち砕く」ことを警告されました。(エレミヤ5:15-17)



 しかし、ユダの人々は、雨を注ぎ、収穫を与えて下さるエホバを恐れようとはしませんでした。(エレミヤ5:26)そして、「神はいない。わたしたちに災いが臨むことはない。わたいたちは剣も飢きんも見ないであろう。」と言いました。(エレミヤ5:12)ユダの「民は強情で反逆の心を持つように」なりました。(エレミヤ5:23)


  ユダの人々は霊感を受けて語った預言者エレミヤの言葉を真剣に受け取りませんでした。彼らは、神はいない、自分たちの将来は安泰だと考えました。神の律法に違反しながら、日常生活を送りました。


 その結果、歴史の事実によると、古代の軍事強国バビロンがユダとエルサレムに攻めて来て、そこの人々は、バビロンに捕らわれになり、ユダとエルサレムは荒廃してしまいました。




In the Hebrew Bible, the captivity in Babylon is presented as a punishment for idolatry and disobedience to Yahweh
人々が預言者の警告を無視して神の律法に違反し続けたのでユダとエルサレムはバビロンに荒廃させられ捕らわれになりました





 エホバ神は今日でも生きておられ、昔と同じ基準を人々が守ることを求められます。エホバ神は、北の王に対しても、南の王に対しても、キリスト教徒に対しても、イスラム教徒に対しても、また、仏教徒に対しても、また、他の宗教を持っている人々に対しても、姦淫や売春や偶像崇拝を禁じられています。そして、ご自分の律法を守らない国家や人々が災いを被ることを予告されています。



 私たちは、創造者エホバを恐れて、エホバの律法を守るようにしましょう。来るべき災いを逃れるための手を打ちましょう。




An American GI and prostitutes in Calcutta in 1945
エホバを恐れて売春婦になることも買売春も避けましょう

エゼキエル2・3章・神の預言者に与えられた責任


 エゼキエルは、バビロンにいました。(エゼキエル1:3)そして、エホバ神はエゼキエルに天のエホバ神の幻を与えました。その後、エゼキエル3章によると、エホバ神はかたくななイスラエル人に警告を与える「見張りの者」として、預言者エゼキエルを任命しました。(エゼキエル3:17) 



See-ming Lee
エゼキエルは神により高い塔で見張りに立つ見張りの者として任命されました
 

エゼキエルはどんな責任を与えられたのでしょうか。イエスはクリスチャンの預言者の責任についてどのようなことを述べているでしょうか。

 エゼキエルはイスラエル人と共に、その罪のゆえに、故国のユダとエルサレムから捕囚としてバビロンに連れて来られていました。


 それは、イスラエルの罪に対するエホバの罰であったので、イスラエル人はエホバの言葉が成就したことを考えて、エホバの前にへりくだるべきでした。しかし、エホバ神は、エゼキエルに対してイスラエルの家が、「反逆の家」であると何度も言われました。(エゼキエル2:5,6)イスラエル人のかたくなで反抗的な態度は、エホバ神からの罰を受けてもなかなか改まりませんでした。

 エゼキエルはイスラエル人が「聞こうが聞くまいが」神の言葉を語らなければなりませんでした。(エゼキエル2:7)それは、イスラエル人の中に神の「預言者が自分たちの中にいた」ことを示すためでもありました。(エゼキエル2:5)


 エホバがエゼキエルに与えた責任はとても重大なものでした。エゼキエルの言葉によって人々は命を得ることもあれば、命を失うこともありえました。そのため、エホバ神は、もしエゼキエルの怠惰のために、人々が命を失うことになれば、失われた命の責任をエゼキエルに問われる、つまりエゼキエルの命を要求すると言われました。(エゼキエル3:18)


 エゼキエルは神の言葉を聞き、人々に警告を与える責任がありました。エホバ神が邪悪な者に、「あなたは必ず死ぬ」と言う時、もしエゼキエルがその言葉を邪悪な者に伝えないなら、邪悪な者は、そのとがのために死にます。しかし、エホバ神は、エゼキエルの怠慢のために、失われた邪悪な者の「血の返済」をエゼキエルに求めます。(エゼキエル3:18)


 一方、エゼキエルが警告したのに、その邪悪な者がその邪悪な道から立ち返らないなら、その者は、そのとがのために死にます。しかし、エゼキエルはその邪悪な者の死について責任を問われません。エゼキエルは自分の命を救い出したことになります。(エゼキエル3:19)


 また、義なる者がその義の道を離れ、エゼキエルがその人をそのままにして、警告を与えならならば、以前義なる者であった者はその罪のために死ぬことになります。しかし、エホバはエゼキエルにその人の血の返済を求められます。(エゼキエル3:20)


 また、エゼキエルが、義なる者に警告を与え、義なる者が:警告を受けて罪を犯さないならば、義なる者は生き続け、エゼキエルも自らの命を救い出すことになります。(エゼキエル3:21)


 ですから、エゼキエルは自分の命も他の人の命も左右する仕事をエホバ神から与えられました。エホバ神はクリスチャンにも同様な仕事を与えられています。エホバ神はクリスチャンに神の王国を宣べ伝えて、キリストの教えを伝えるようにという務めを与えられました。(マタイ24:14;28:19,20)



ezekiel
エゼキエルは神の言葉から人々に警告を与える責任を神から課せられました





クリスチャンはエゼキエルと同じように神の言葉から警告を与える責任があります






それで、人々が神の基準に調和した生活をしていてもいなくても、クリスチャンも基本的に他の人々に神の警告を伝える責任があります。そして、その音信を伝えることは自分と他の人の命を左右します。


 しかし、キリストの言われることは道理にかなっています。イエスは、神聖なものを犬に、真珠を豚に与えないようにと言われました。それは彼らが向き直ってクリスチャンに害を与えることのないためです。(マタイ7:6)それで、暴力的な邪悪な人、聖書の基準を守らない人、迫害者には、クリスチャンの安全を図るために聖書の音信を伝えることを差し控えることが勧められています。


 また、キリストは、クリスチャンにある町で宣べ伝えていて、迫害された場合、殉教してまで宣べ伝え続ける必要はないと言われました。その場合は、その町から逃げて、別の町で宣べ伝え続けるようにと言われました。(マタイ10:23) 


 使徒パウロは神が自分に課した人々の血に対する責任を自覚していました。パウロユダヤ人にもみ言葉を熱心に宣べ伝えましたが、ユダヤ人があしざまに言い続けた時、パウロは「あなた方の血」に関して自分は「潔白です」と言いました。そして、パウロは、「諸国の人たちのところに」行って宣べ伝えると言いました。(使徒18:5,6)


 それで、聖書の音信を聞こうとしない人々、クリスチャンを迫害する人に聖書の音信を無理に伝えることは、クリスチャンに求められていません。しかし、パウロは許される状況の中で最善を尽くしたので、血の責任は自分にはないと言いました。


 しかし、パウロが最善を尽くして宣べ伝えたので、神がパウロに責任を問われてそのためにパウロが神から命を求められることはありませんでした。そして、パウロは永遠の命を確保し、パウロが将来復活することは保証されていました。さらに、パウロは大勢の人々が神からの命を捕えるように助けました。



Saint Paul delivering the Areopagus sermon in Athens, by Raphael, 1515
パウロは最善を尽くして宣べ伝えたので神から責任を問われて命を失ういわれはないと言いました


 クリスチャンが伝える聖書の音信はその人々の命を左右することを考えて、事情が許す限り聖書の音信を伝えて、預言者としての責任を果たすことができます。


David Livingstone preaching from a wagon.
神から与えられた責任を果たして人々の救いに貢献するようにしましょう

イザヤ45章・キュロスは神に用いられ偶像崇拝の対象となる

 イザヤ45章には、神がペルシャ人キュロスを用いられて彼の前に諸国の民を従えられることが預言されていました。神がキュロスを助けたのは、神の目的を達成するためです。



 ところが、イザヤ45章にはさらに、神がキュロスを用いた結果、キュロスが諸国民から偶像崇拝の対象になることが預言されていました。これは、エホバ神が是認されることではありませんでした。ところがこのような偶像崇拝は今日も生じることが考えられます。南の王を倒すことになる北の王に対する偶像崇拝が生じることが考えられます。



 エホバ神がキュロスを高めてバビロンや他の諸国の民に勝利を得させたのは、神の選ばれた者イスラエルのためでした。(イザヤ45:4)そのゆえに、神はキュロスの名を呼んで、イザヤ44章にあるような神の目的を成し遂げさせました。



 すなわち、バビロンに捕らわれていたイスラエル人を解放させ、エルサレムに再び人を住ませ、神の神殿の土台を据えさせることでした。(イザヤ44:26,28)エホバ神はご自分の崇拝を復興させるためにキュロスを用いられました。



 実際に、キュロスは、バビロンに入城して「諸王の王」と号し、バビロン捕囚にあったユダヤ人をはじめ、バビロンにより強制移住させられた諸民族を解放しました。 キュロスの行ったことがキュロスの円筒印章に記録されて残っています。




Justin Ennis
The Cyrus Cylinder
キュロスの円筒印章にはキュロスが諸国民に宗教の自由を与え故国に帰還させたことが記録されています



 イザヤ45章によると、神がキュロスを助けて行わせたことのゆえに、エジプト人エチオピア人、シバ人はキュロスのもとにやってきて、キュロスに自ら服しました。(イザヤ45:14)


 彼らはキュロスに身をかがめてキュロスに祈りました。そして、それらの諸国民はこう言いました。「本当に神はあなたと共におられます。ほかにはいません。ほかの神はいません。」(イザヤ45:14)諸国民は、神ではなくキュロスに祈りました。つまり諸国民はキュロスを神として崇拝したのです。




Illustration from "Illustrerad verldshistoria utgifven av E. Wallis. volume I": Relief of Cyrus.
キュロス大王はバビロンを倒壊させたので神として崇拝されたようです


 諸国民は、キュロスがバビロンや諸国民を下すことに見事に成功したのを見て、神がキュロスと共におられると考えました。また、キュロスそのものが神だと考えました。


 ですから、昔、キュロスは神の禁じられた偶像になってしまいました。そのようにして、諸国民は実際はエホバ神の神性を否定しました。



 確かに、バビロンは神の民を攻撃しました。そして、そのバビロンを滅ぼしたキュロスはエホバ神の導きを受けていました。彼は、エホバのご意志を行いました。それでも、エホバの代わりに人間に過ぎないキュロスを崇拝するのは間違っていました。


  それで、イザヤ45章15節では、エホバ神について「ご自分を覆い隠す神です。」と言われています。


 実際はエホバ神がイスラエル人を助けるために、キュロスを用いてバビロンを倒壊させ、バビロンからイスラエル人を解放させたのですが、エホバ神に用いられたキュロスが崇拝されることになったのです。それで、エホバ神は実際にご自分を覆い隠される結果になりました。




Tetragrammaton (God's name, see Jehovah) at the Roman Catholic Church Saint-Germain-des-Prés, at Paris, France P.Vasiliadis.

エホバ神はキュロスを用いられた時にご自分を覆い隠されました―実際はキュロスの成功はエホバを崇拝するいわれになつたのです


 しかし、キュロスを偶像として拝む人々は、「ひとり残らず必ず恥をかき、辱めを受ける」ことになっていました。(イザヤ45:16)「偶像の形を作り上げる者たちは、共に辱めのうちに歩むことを余儀なくされる」ことになっていました。(イザヤ45:16)
 
 また、「救うことのできない神に祈る者たち」も何の知識も持ってはいないと述べられています。(イザヤ45:20)ですから、キュロスは、「救うことのできない神」であり、キュロスに祈って頼る者たちは辱めを受けることが予告されていました。


 実際、エホバ神は一時は、キュロスを愛されキュロスに誉れを与えました。(イザヤ45:4;48:14)しかし、ヘロドトスの著書『ヒストリアイ』によると、キュロスはマッサゲタイ人との戦いで戦死したという説を伝えています。キュロスは辱められて死んだようです。


 キュロスの墓は、王都パサルガダエに築かれたとされ、現在でも残っています。キュロスを偶像としてそれに祈る者たちは、何も知らず、恥をかくことになりました。キュロスは究極的には、救うことのできない神になりました。


MAITE ELORZA キュロスの墓キュロスは神に愛されましたがキュロスを神として崇拝する者たちは辱めを受け落胆することになりました



 エホバは「誰がこれを昔から聞かせたか。・・・それはわたしエホバではないか。・・・義なる神救い主はわたしを別にしていない。」と言われました。(イザヤ45:21)エホバ神はご自分だけが救い主だと言われました。


 確かに、キュロスのすることを聖書のイザヤ書の中で二百年も前から告げておられたのはエホバ神なのですから、真の救い主はキュロスではなく、エホバ神です。




Scroll of Book of Isaiah Pete unseth
イザヤ書でキュロスを用いてイスラエルを助けることを預言されたのはエホバ神なので神が真の救い主です


 このことで思い出されるのは終わりの時に、北の王が果たす役割です。北の王は三度南の王に総攻撃をしかけます。(ダニエル11:25,29,40)そして、一度目と三度目に成功します。(ダニエル11:26,42)


 しかし、聖書をさらに検討した結果、一度目に成功する北の王は、神の民の拠点を攻撃して後、別の政治勢力により倒されることになっているようです。(ゼカリヤ1:18-21)最初の北の王が、神の民を攻撃することにより、エホバ神に対して高ぶるので、エホバ神は最初の北の王が倒れて次の北の王に移り変わるようにされるのではないかと考えています。(ダニエル1:19-21) 


 北の王は、エホバ神に敬意を払う部分があることをダニエル書は述べています。(ダニエル11:38)それで、神は「ご自分の考えを遂行することを彼らの心の中に入れ」ることが預言されています。(啓示17:16,17)神は、南の王が神の民に対して行うことに対して復しゅうされるように取り計らわれるようです。(啓示19:2)


 しかし、諸国民はそのように考えません。北の王が成功するので、諸国民は北の王を神として崇拝することになります。ダニエル書には比ゆ的な「エチオピア」と「リビア」が北の王の「歩みにつく」ことが預言されています。(ダニエル11:43)それで、北の王は、諸国民からキュロスのような扱いを受けます。


 しかし、北の王はエホバ神に対して高ぶります。北の王は、自分を「あらゆる神の上に高め」、「神々の神たる者に向かって驚くべきことを語り」ます。(ダニエル11:36)そして、神の民と戦います。
(啓示17:14)
 

 北の王は、聖書の神に対して幾ばくかの敬意を払うとはいえ、北の王は、基本的に自由に行動し、エホバ神より自分を高めようとし、実際に神の民を攻撃することにより、エホバ神に対して敵対していることも示します。(ダニエル11:38)しかしながら、政府組織や国際組織の場合、人々はさまざまな異なる意見を持っているので異なる仕方で行動します。それで、北の王もさまざまな行動をとる部分があるのかもしれません。


また、北の王が設立する組織は、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」と言われています。(ダニエル11:31)「嫌悪すべきもの」とは偶像です。(エゼキエル7:20)この組織も人々によって神のように崇拝されることになっています。(啓示13:15) 


 しかしながら、最初の北の王も次の北の王も神の民を攻撃することになるのかもしれません。ダニエル11章には、北の王から「出る腕があって立ち上がる」ことを予告しています。(ダニエル11:31)「立ち上がる」とは、ダニエル書の中では、王が権力を握るという意味で用いられることがあります。(ダニエル7:17;8:23)「腕」とは、最初の北の王の親族あるいは関係者を意味する場合があります。(ダニエル11:6)それで、おそらく北の王の側に分裂があって最初の北の王の親族または関係者が新しい政権を設立し、それか、以前の政権を攻撃し、野獣の像を設立するという仕事に率先するのでしょう。


 しかし、その新しい政権も神の民の攻撃に加わることになるのかもしれません。(ダニエル11:31)また、聖書は南の王の側にも分裂があることを示唆しています。「大いなる都市は三つの部分に裂け」ることが予告されています。(啓示16:19)


 それで、この北の王の分裂と、南の王の分裂は最終的に神の民を利する結果になるのかもしれません。南の王の獄に捕らわれている神の民が解放される結果になるのかもしれません。(イザヤ43:14)聖書は、サタンがサタンに対して内部分裂する場合があり、その王国が「立ち行かない」し、「荒廃」することになるというイエスの言葉をのせています。(マタイ12:25,26) 


 聖書は、大患難の前に、神の民が山間部に逃げることを予告しています。北の王は少なくとも神の民が山に逃げた時、世界的な攻撃を行なう時、神の民の命を容赦することによって、神に敬意を払うでしょう。


 しかし、北の王の古い政権も新しい政権も神の民を攻撃するように見えるのに、なぜ北の王が南の王を攻撃することになるのかこの点も、理解できません。しかし、確かに、聖書は緋色の野獣と十本の角が大いなるバビロンを憎んで滅ぼすこと、そのようにしてエホバ神のご意志を行なうということを予告しています。(啓示17:16,17)どのような事態の変転があるのか、理解できないので、この辺はさらに研究していきたいと思います。


 しかし、いずれにせよ、北の王と荒廃をもたらす嫌悪すべきものを偶像崇拝する諸国民は恥をかくことになっています。確かに、南の王を首尾よく倒すことによって北の王は崇拝されることになりますが、北の王は誇り高ぶってその後神の民に対して最終的な攻撃をしかけるようです。(エゼキエル38:2,8)その時、エホバ神は霊者として復活させられた144000人を用いて、北の王と諸国民の軍勢を滅ぼしてしまわれます。(エゼキエル38:21,22)


 それで、北の王は、エホバ神に助けられる時、神に対して高ぶらないようにすることができます。(ダニエル11:38)また、国家が神に許されて勝利を得る時に、その国家を崇拝しないように気をつける必要があります。私たちは南の王も北の王も北の王によって設立される国際組織も偶像崇拝をしないようにしましょう。エホバ神だけを崇拝しましょう。(マタイ4:10)




Michael Kotrady

ご自分の言葉聖書からすべてのことを預言され導いていかれるエホバ神を崇拝しましょう

進化論者の言う適者生存は起きていますか

ネットにカレブさんという進化論者がいます。カレブさんは、進化の適者生存が自然界に起きていると主張します。その方は、「進化は絶滅の危機を乗り切りながら、それぞれの環境に合わせて生存に有利な能力が伝わっています。」と言われています。

 カレブさんのコメントによると、キリンの場合は草を食べるのに有利に首が長くなって、その特徴が子孫に伝わったと言うことです。また、ライオンやトラは、爪や牙が発達して、その特徴が子孫に伝わったと言います。また、コアラはユーカリを、パンダは笹を食べるようになり、その特徴が子孫に伝わったと言うことです。そして、このような適応が、環境に合わせてさまざまに起きたと言います。



キリンは木の上の葉っぱを食べるために首が長くなったのですか


 キリンは首が長ければ、確かに木の上の葉などは食べるのに有利かもしれません。しかし、私たちの首や手は、棚の上の物を取るのに有利であるからといって、だんだん長くなることがあるでしょうか。




わたしたちの腕は棚の上の物を取るのに便利なように長くなりますか



 また、キリンの首が長いのは、地面の上の草を食べるのには、不便です。キリンは、地面の上の草を食べるのに、非常に不格好な姿勢を取ります。ですから、首が長いことは必ずしも生存に有利ではありません。それなのに、なぜキリンの首は長くなったのでしょうか。




キリンの首は長いので地面の上の草を食べるのには不便でないでしょうか




 また、ライオンは、草食動物をかみ砕くのに有利だから、牙が生えてきたのでしょうか。私たち人間にとっても、もし、牙があればナッツなどをかみ砕くのに有利でしょう。しかし、だからといって、世代が変われば、私たちに牙が生えて来るでしょうか。生えてこないでしょう。もし、人間に牙が生えてこないのであれば、ライオンにも生えてこないでしょう。ですから、最初から、ライオンは、牙を持っていたと考えるのが妥当でないでしょうか。



 また、象は、草食動物を襲うことはありませんが、牙があります。ですから、象の牙は、草食動物を攻撃するために、進化して生えてきたのではないのではないでしょうか。象は、牙があるので、ある場合、他の動物を攻撃して撃退することができます。


 しかし、象の牙は、有利な面がある反面、何かの植物を直接口から食べるためには、生存に不利であると考えられます。象は、牙が邪魔になるので、鼻で口に食物を運ばなければなりません。どうして、生存に不利な特徴を象は持っているのでしょうか。象の持つ特徴は、生存に有利な特徴と言うより、単に象が独自の特徴を持っているということではないでしょうか。




Stuart Bassil Elephant An elephant in the Kruger National Park, South Africa
象の牙も何かの植物を地面から食べるためには不利でしょう−象の牙は単にその独自の特徴です


 また、例えば、羊やサイには、角があって、他の動物と戦う際に用いたりするでしょう。では、人間は、なぜ生存に有利な角を持っていないのでしょうか。もし、人間に角があれば、剣の代わりになって環境に適した強者となるでしょう。しかし、何百年待っても、人間に角が生えてくることもないでしょう。





Rhinoceros blanc

Coralie - Own work]
サイの角は戦うのに有利だから生えてきたのですか




戦うのに有利だから人の額にいつか角が生えてきますか



 コアラはユーカリを食べます。パンダは笹を食べます。それは生存に有利でしょうか。コアラにしても、パンダにしても、一種類の植物だけに依存するのではなく、さまざまな植物を食べられる能力がある方が生存に有利なのではないでしょうか。ですから、コアラがユーカリを食べ、パンダが笹を食べるというのは、生存に有利と言うより、単にコアラやパンダの特徴だと言えるのではないでしょうか。

 それで、私たちが棚の上の物を取るのに便利だからと言って、私たちの手や首は長くなっていくことはありません。また、ナッツをかみ砕くのに便利だからと言って、私たちに牙が生えてくることはありません。他の人間と戦うのに便利だから私たちに角が生えてくることはありません。私たち人間の姿は古代人間と同じ姿を保っています。


  幾百年、幾千年、待っても、生存に有利だと考えられる特徴がある動物に発現することはないでしょう。遺伝の法則があるので、おおむね、先祖が持っている特徴を子孫は受け継ぐだけではないでしょうか。動物が持つさまざまな特徴は、最初からその動物が持っていたのではないでしょうか。
 
 聖書によると、創造者は創造の六日目に、「地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって作ってゆかれ」ました。(創世記1:25)それで、創造者は、あらゆる特徴を持つ動物を、ご自分の創造力を発揮されて創造されました。エホバ神は、それぞれの動物にご自分が望まれる特徴を与えられました。

 このように、創造者が、自然界にさまざまな特徴を持つ動物を、デザイン感覚と、創造力を発揮して創造されたという説明の方が、自然界の実情を良く説明できるのではないでしょうか。 


  ただ単に、エホバ神は、ご自分のデザイン感覚と創造力をいかんなく発揮されました。それで、エホバ神は、ライオンやトラや象を、ヤギやサイも創造してくださいました。


 エホバ神は、人間が地上での生活からいつまでも、楽しみを見い出すことができるように、自然界に多様性を備えて下さいました。私たちは、創造者のエホバ神が人間のために、備えて下さったものを感謝しましょう。「エホバよ,あなたのみ業は何と多いのでしょう。あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。地はあなたの産物で満ちています。」(詩編104:24)

イエスが亡くなる前に経験されたストレスと苦しみ


 エスは、ご自分が経験することになっている苦しみの死について、「それが終わるまで,わたしはどんなにか苦しむことでしょう。」と言われました。(ルカ12:50)



エスは、贖いの犠牲を遂げられる前に、非常なストレスと苦しみを経験されました。イエスが経験した非常なストレスと苦しみについて考えるなら、私たちはイエスが私たちのために神に捧げてくださった贖いの犠牲に感謝するよう促されます。


  エスが経験された苦しみと死はイエスにとっても初めての経験でした。イエスは、この物質宇宙が存在する前に、エホバ神によって神の創造の初めに霊者として創造されました。(箴言8:22)ですから、イエスは、地上で人間としてお生まれになる幾十億年も前から、天で生きておられました。ところが、イエスは天での生活の中で、父なる神に従うがゆえに非常な苦しみを経験することはありませんでした。

 私たちも、失敗する可能性のあること、初めて経験する苦しみは、ストレスになります。イエスにとっても、苦しんで死ぬということは、彼の生涯の中で初めての経験でした。それは、イエスにとって耐えるのが簡単なことではありませんでした。 しかも、それが前もって分かっていたら、苦しむことでしょう。


 エスは、裁判にかけられて杭にかけられる前にゲッセマネの園で祈られました。(マタイ26:36-29)その時、イエスは、汗が「血の滴りのようになって地面に落ちた」と述べられています。(ルカ22:44)





Waiting For The Word Gethsemane 34
エスゲッセマネの園で非常に苦しんで神に助けを祈られました



 極端な精神的ストレスの幾つかの症例では,血の混じった汗の出たことが報告されています。あるクリスチャンがご自分の甥子さんについて、心臓疾患を持っていて亡くなる数日前に血のように赤い汗を流し、タオルが赤く染まったとネットで語っておられます。


エスは、「わたしの父よ,もしできることでしたら,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と祈られました。(マタイ26:39)



 エスが言われた「この杯」とは何でしょうか。イエスは死刑になるために捕えられた時、「父がわたしにお与えになった杯,わたしはそれをぜひとも飲むべきではありませんか」と言われました。(ヨハネ18:11) それで、神がイエスに与えた「杯」とは、捕えられて宗教指導者たちから苦しめられて杭の上での死を遂げることだったでしょう。


 エスは聖書全体の預言をご存知でしたし、天でエホバ神から話を直接聞いておられたと考えられます。贖いの犠牲を遂げることは、キリストが地上に遣わされた目的でしたし、それが人類の益のためであることは、イエスは十分分かっておられました。(マタイ20:28)


 エスは贖いの死を遂げるために、非常な激痛を経験することになっていました。 イエスは、ご自分に関する聖書の預言をご存知だったので、イエスは「杭に掛けられ」て「神にのろわれた者」となることをご存知でした。(申命記21:23)また、イエスは、イザヤ書が、メシアは、「苦しみを受け」「刺し通され」「打ち砕かれる」ことを予告していることをご存知でした。(イザヤ53:4,5)


 エスは、人々がご自分を「愚弄し、むち打ち、かつ杭につけるために諸国民の者たちに引き渡す」ことを予告されました。(マタイ20:19)


 エスが、杭の上でなくなるのは、人々の罪のための贖いの犠牲のためでした。(マタイ20:28)また、イエスは「友のために自分の魂をなげうつこと」より「大きな愛」を持つ者はいませんと言われました。(ヨハネ15:13)ですから、イエスの行為は、数えきれない人類に永遠の命を与える自己犠牲的な愛の行為でした。(ヨハネ3:16)イエスの行いは、感謝され称えられるべき行為でした。


 しかし、イエスが贖いの死を遂げるその時、人々からは少しも感謝されないのです。イエスは、人々から「さげすまれ」、人々から「取るに足りない者」とみなされることになっていました。(イザヤ53:3)


 それで、イエスが「杯」を過ぎ去らせてくださいと願ったということは、捕えられて、非常な苦しみを受け、神を冒とくする者として、卑しめられた仕方で殺されるというエホバ神のご意志を受け入れることは、やはり、イエスにとって容易に受け入れられることではなかったということを示しています。


 エスは、「わたしの魂は深く憂え悲しみ,死なんばかりです。」と言われました。(マタイ26:38)イエスの完全な忠誠に人類の将来がかかっていました。もし、イエスが失敗すると神には大変な恥辱がもたらされ、贖いの犠牲は備えられず、人類は永遠の命を与えられず、神のみ言葉の真実性に疑問が投げかけられることになります。それで、イエスがどのように行動するかの結果は非常に重要で大きなものだったので、イエスにとっては、その思い煩いと前途の試練は非常に大きなストレスになりました。 




Gethsemane by Wassilij Grigorjewitsch Perow
完全なイエスにとっても苦しみを受けて冒とく者として死ぬことは簡単なことではありませんでした―イエスに神のみ名と人類の将来がかかっていたのでイエスは非常に苦しまれました



エスは自由意志を行使できる存在でした。ですから、イエスは望めば、ご自分に対する神のご意志を退けることができました。また、そのような過酷な状況の中で、神への完全な忠誠を保つことができるのか、イエスは非常に不安だったでしょう。イエスは心が潰れてしまいそうな思いをされました。


 そして、イエスの祈願は神に聞かれました。エホバは、み使いを遣わしてイエスを励まされました。(ルカ22:43)しかし、イエスは、神のご意志が成し遂げられて、神に栄光がもたらされることを望まれました。イエスは、最後には、ご自分に対する父エホバ神のご意志を謙遜にまた従順に受け入れられました。


  このことは、また、贖いの犠牲の取決めが、エホバ神の発意が考えられたもので、イエスはエホバ神のご意志の遂行に協力されたということを示しています。完全な人間であっても、苦しむことが平気であるということではありません。また、完全な人間であっても、神の言葉に調和した行動をとる点で、エホバ神の助けが必要であったことを示しています。


エスは、聖書の言葉が完全に成就するようにと、気にかけておられました。イエスは、ご自分が贖いの犠牲をささげるために、み使いの軍団の援助を神に求めることをされませんでした。そして、「そのようにしたなら、必ずこうなると述べる聖書はどうして成就するでしょうか」と言われました。(マタイ26:54) 


 エスは、サンヘドリンの前で、「今後あなた方は,人の子が力の右に座り,また天の雲に乗って来るのを見るでしょう。」と言われました。(マタイ26:64)これは、「人の子」、つまりイエスが、天で、「力」つまり、エホバ神の右に座ることを予告したものです。これは、「あなたは神の子キリストなのかどうか」という大祭司の質問に対する、肯定の答えでした。(マタイ26:63)そのため、大祭司は、イエスが「冒とくした」と決めつけイエスを死刑にすることにしました。(マタイ26:65)


 エスは、まさに神の子キリストであったので、イエスは全く正直に語られました。ですから、イエスが死刑にされる根拠は全くありませんでした。イエスは、全く罪がないのに死刑にされました。そのゆえに、イエスの死は人類の罪のための贖いになりました。


 また、イエスの言葉は、ご自分が贖いを遂げた後、エホバ神から栄光を受けるという喜びをはっきり見据えておられたことを示しています。そのため、イエスは苦しみの杭の上での死という「恥を物とも」されませんでした。(ヘブライ12:2)


 そして、イエスは、その後、敵対者たちにつかまって杭の上で最後に死を遂げるまで、はっきり意識を保ってエホバ神に完全に忠誠を保つことができました。


私たちは、イエスが非常なストレスと痛みと苦しみを忍んでくださったことを感謝できます。是非、キリストの記念式に出席して、キリストの備えて下さった贖いの犠牲に感謝を示しましょう。


 私は、エホバの証人の教理のすべてに同意してはいませんが、エホバの証人が、キリストの死の記念式を年に一度だけ行うのは、正しいと思います。(民数記9:2,3)





Richard Scoop Kingdom Hall in Tortola BVI
エホバの証人は2016年3月23日の日没後全世界の王国会館でキリストの死の記念式を催します


キリストの死の記念式は、2016年3月 23日(水)、全世界のエホバの証人の王国会館で日没後に行われます。去年2015年の出席者は、全世界で、1986万2783人でした。エホバの証人の執り行う記念式に出席されて、キリストの贖いに対する感謝を表されるようお勧めします。

エレミヤ1・2章・エホバの目に売春である偶像崇拝と軍事強国に頼ること

 エレミヤ1・2章では、今日エホバ神がとりわけどんなことに対して怒りを抱かれるかを示しています。エホバの目に売春と映るきわめて忌むべきことは、偶像崇拝と他の軍事強国の軍事力に頼ることです。そしてエホバ神は人間の益となることを教えてくださいます。ですから、偶像崇拝も他の軍事強国の軍事力に頼ることも結果がよくありません。


 もちろん、どの国家とも良い平和な関係を保つのは良いことです。しかし、他の軍事強国の軍事力に頼ることや、共に軍事行動をすることはエホバの不興を買います。
 
 エレミヤ1・2章では、ユダの中で民がエホバを捨てて他の神々に対して偶像崇拝を行なったためにエホバ神が怒りを抱かれたことが述べられています。 また、ユダが他の軍事強国に頼ったこともエホバの怒りを招きました。そのために、エホバはユダをバビロンの手に渡される結果になりました。


 エレミヤ1章14節によると、「わたしは北のもろもろの王国のすべての王国のすべての家族を呼び寄せる」とエホバは告げられました。「北」の「すべての家族」とは、バビロンの王ネブカドレザルの軍勢を意味していました。(エレミヤ25:9)エホバ神は、バビロンがユダのエルサレムに対して攻撃するように、取り計らわれました。


エホバ神がそのようにされるのは、ユダの人々が「わたしを捨てて、ほかの神々に犠牲の煙を立ち上らせ、自分の手の業に身をかがめ続けるから」です。(エレミヤ1:14,16)


 エレミヤ2章20節には、エホバ神はユダが「すべての高い丘の上で、すべての生い茂った木の下で、あなたは寝そべって売春をしていた」と批難されています。


 列王第二17章によると、イスラエル人は、「すべての都市に自ら高き所を築き」、「すべての高い丘の上や,すべての生い茂った木の下」に、「聖柱や聖木を立て続け」ました。そして、彼らは「糞像に仕え続け」ました。(列王第二17:9-12)それで、エレミヤ書で非難されている「売春」とは、偽りの神また偶像を崇拝していたことを意味しています。


 神はご自分と選ばれた国家だったイスラエルとの関係をご自分が夫、イスラエルが妻という結婚関係になぞらえられました。(エレミヤ3:14)ですから、ユダが他の偶像の神々を崇拝することはエホバの目に売春でした。


 エホバは、「あなたの神々はあなたの都市の数のようになったからである。」と言われています。(エレミヤ2:28)それで、ユダで崇拝されていた偽りの神々の数は多かったのです。


 もちろん、偶像崇拝を退けると言っても、私たちは他の人の所有物である偶像を破壊することはできません。他の人の所有物は尊重しなければなりません。しかし、私たちクリスチャン自身は、聖書の神エホバ以外の神々への崇拝は断固として退ける必要があります。


 ですから、地域社会の人々が神社で手を合わせる時も、寺で石や木や金属の仏像に崇拝を下げる時も、家族が仏壇に手を合わせる時も、私たちはそうした偶像崇拝を避ける必要があります。聖書はまた「偶像礼拝から逃げ去りなさい」と勧めています。(コリント第一10:14)

 エホバ神は、ご自分の捧げられるべき栄光を偶像に与えることはしません。(イザヤ42:8)ですから、エホバを崇拝する時には、私たちは偶像や祭壇に頼るべきではありません。私たちは、何もない所で、自分の「私室」で、エホバに祈りをささげることができます。(マタイ6:6)



私たちは偶像や祭壇のある所ではなく何もない私室で祈ることができます


  また、ユダの陥った売春とはエホバに頼らず、エジプトやアッシリアなどの軍事強国に頼ったことも意味します。なぜなら、エホバ神は、ユダに対して彼らが「あなたの神エホバを捨て」ることを非難され、「あなた方はエジプトの道にどんな関心があってシホルの水を飲もうとするのか。また、アッシリアの道にどんな関心があって川の水を飲もうとするのか。」と言われているからです。(エレミヤ2:18)


 ユダはエジプトやアッシリアなどの軍事強国を「確信のよりどころ」としました。(エレミヤ2:37)実際ユダはバビロンに支配されていた時、バビロンと契約を結んでいたにもかかわらず、エジプトに使者を送って、エジプトの援軍を求めました。しかし、ユダはバビロンにも頼り、その結果はよくありませんでした。それで、ユダが他の世界強国に信頼をおいて頼ったことはエホバの目からは売春でした。


 聖書は、国家間の「売春」はエホバの不興を買って、他国の軍事的な攻撃を招く結果になると述べています。


 今日、昔のイスラエルのようにエホバと正式な契約関係にある国家は存在しません。しかし、今日、キリスト教の政治指導者が、政権を取ったり、政治指導者が聖書に注意を向けたりすることもあるでしょう。そのような場合に、エホバ神は助けを与えられるのでしょうか。


 昔、エホバ神は、イスラエルやユダが他の軍事強国に頼るのではなく、ご自分に頼った時、何度も助けを差し伸べられたことがありました。イスラエルやユダは、他の軍事強国の侵入を退けることができました。ですから、今日でも、政治指導者が、エホバ神に頼ったり、聖書預言を考慮して行動する時、エホバ神がある程度の助けを与えられることは考えられます。


 実際、聖書の原則は、政治指導者が物事を判断したり、決定する上でも、実際に役立つ賢明な指針を与えてくれます。


 ところで、政治的な問題が発生した時に、他の軍事強国に頼ろうとすることは、今日、どのような結果になっているでしょうか。例えば、ウクライナで、紛争が起きた時、政治指導者や人々は、ロシアや米国に頼りました。その結果、問題は小さくなることはありませんでした。


 かえって、大国の利害や威信が関係するようになったので、紛争は、複雑に、深刻化しました。また、それらの政治強国は、紛争が解決した後も、ウクライナの内政に影響を及ぼすことでしょう。ですから、内政問題や内紛が生じた場合、他の国家に軍事的に頼ると、自国だけで対処するより、問題は深刻化します。ですから、比ゆ的な国家間の「淫行」や「売春」も結果が良くありません。




UNICEF Ukraine
Unexploded ordnance, Nikishine, Eastern Ukraine
ウクライナ紛争は他の軍事強国が関係したために紛争はより大規模になり深刻になりました



 例えば、北朝鮮と韓国との問題も、韓国が米国に軍事的に頼るために、北朝鮮を一層刺激しています。北朝鮮は、反米感情を抱いているので、韓国との関係は一層悪化します。ですから、この例でも、国家間の「淫行」や「売春」は、問題を大きくしています。




Sungwon Baik / VOA - North Korea Rocket Launch - Photo Galleries
朝鮮問題も他の政治強国が関係すると問題が深刻化しています

 シリアの内戦も、他の政治強国が関係して、問題は複雑化、深刻化しています。



 一方、イエスは、自分より軍事力の強い国家が攻めてくるように思えた時には、まだ、その軍隊が「遠くに離れた所いる間」に「大使」を遣わして「和平を求める」ようにと勧められました。(ルカ14:31,32)



ですから、聖書は他の政治強国の軍事力に頼るのではなく、攻撃してくる可能性のある国家と平和交渉を行なうことを勧めています。ですから、自国の外交に頼ることが、一番結果が良いでしょう。問題が小さくてすむでしょう。


エホバはユダが「自分のために造ったその神々」が「災いの時にあなたを救うことができるのなら、彼らが立ち上がれば良い。」と言われます。(エレミヤ2:28)しかし、偶像の神々も、他の世界強国も、ユダの災いの時にユダのために何もできないでしょう。


 エホバはユダがエジプトやアッシリアを恥じるようになると言われました。(エレミヤ2:36)エホバはユダがそれらの軍事強国によって「成功することはない」と言われました。(エレミヤ2:37)それで、他の軍事強国に頼っても、その軍事強国が期待に応えず、失望させられることがあります。


 ユダは、エジプトやアッシリアに頼りましたが、エジプトやアッシリアはその当時、バビロンによって倒れてしまったので、ユダはエジプトやアッシリアに頼っても、失望させられました。


 今日、国家が他の国々と平和な関係を保つようにするのは良いことです。しかし、他の諸国家と軍事的な同盟関係を結んで、その軍事力に頼ろうとすることは、「エホバを捨てる」ことを意味します。(エレミヤ2:19)また、それはエホバの目に「淫行」であり、「売春」です。(エゼキエル23:11,22)  


 また、大いなるバビロンが大娼婦と言われているのは、聖書の神ではなく他の諸国家との軍事同盟に頼って売春をすることも意味しているでしょう。(啓示17:1)また、大いなるバビロン以外の諸国家が軍事強国に頼ることも聖書の神の目からは売春、つまり娼婦の行為と映ります。(啓示17:5)


 それで私たちは聖書の神エホバの目に売春と映る偶像崇拝も、他の軍事強国に頼ることも避けましょう。そのようにすることは、何の助けにもならず、問題を深刻化します。それで、聖書の神エホバの目に売春を避け、エホバの目に恵みを得るようにしましょう。 




European military alliances prior to World War I - Triple Entente and Triple Alliance



historicair (French original) Fluteflute & User:Bibi Saint-Pol (English translation) - Translated in English from French SVG Map_Europe_alliances_1914-fr.svg
軍事同盟は問題を深刻にします